2008年07月26日

牛鬼 鬼太郎 14話

 今回の話でもっとも伝えねばならないのは鬼太郎とねずみ男の友情ではないでしょうか。

ネズミ男悪巧みをする→失敗する→鬼太郎に助けを求める

ネズミ男悪巧みをする→成功する→鬼太郎に見つかりこらしめられる

 というのが、鬼太郎の大きなパターンだと思います。

 後者だとギャグぽかったりしますが、前者だと、泣ける話がくるのですが今回はその感じでした。


 ところで牛鬼ですが、物語中では、他人に乗り移り、被害を繰り替えるという事になっていますが、実際の伝承ではどうでしょうか。

 姿としては、牛鬼は、頭が鬼で、首から下が牛のようになっています。
 多く登場する場所は、淵や滝、川など水をイメージするとことです。牛という名前から流れていくとするとその辺りはなんとなく納得できるんですよね。
牛と水に関しては前書いていますのでこちらを見ていただけると

手賀沼の主
http://youkai.seesaa.net/article/16316117.html
牛と水神
http://youkai.seesaa.net/article/19411113.html

 ちなみに、各地で出る牛鬼はただの怖いものではなく、加藤清正と共に大陸に渡ったとか、疫病避けとして活躍しています。今でも宇和島の牛鬼まつりは盛んです。

うわじま牛鬼祭り http://ushioni.gaina.ne.jp/
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2007年11月18日

海のあやかしたち

 海は現在のように技術があっても危険な場所。当時の「板子一枚下は地獄(いたこいちまいしたはじごく)」の言葉があらわすように、生と死の境界の場所であったせいか、妖怪の話が多くあります。

 海坊主というのをみなさんご存じでしょうか。
 海坊主は海に出る妖怪で、巨大な坊主頭で海に現れ、漁船を転覆させたり、おどろかしたりするものです。
 東京湾に出るというのは巨大な黒い入道のような姿です。地域によっては何本か足があり、頭がつるりとして光る坊主頭ということか、タコめいた姿の時もあります。また、羽がある、すっぽんの体で頭だけが人間など、いろいろな姿で正体がつかめません。
 そのせいか海坊主は吉祥である(見ると長生きする)、不吉である(人を海に沈めて殺そうとする)という2つの系統の話があります。それは多くのジンクスの成立と同じく、その後に良いことや悪いことが起こり、海坊主とあうという珍しい経験が原因ではないかと考えられ、過去の意味が組み替えられたためでしょう。

 坊主という文字の上のイメージからいろいろと連想が働いたのか、海には僧の姿をした妖怪をいくつか見ることができます。
 海難法師、和尚魚、海座頭などです。
 その辺りはちょいとこの辺りを見ていただいて。
http://youkai.seesaa.net/article/40270872.html


 さて、船の上にも神様がいました。それはフナダマサマです。
 フナダマサマは船の守り神である、多くの船で船を守る存在としてあがめられました。
 そのフナダマサマが時折地上で祭られている場合があります。海の神様であるフナダマサマが陸上で奉られる理由は、陸に上がった船乗りが霊験あらたかな神を信じて地上に奉ったもの。もう一つは怪異をもたらしたものを沈めるために奉ったものです。
それが安宅丸稲荷堂です。

 安宅丸はまたの名を天下丸という船の名です。寛永12年に将軍徳川家光によって作られた江戸幕府最大の船であり、長さは55メートル。200の櫓を400人でこぐほどの巨船でした。志のない者や罪人を乗せると唸り声を上げて拒否したといいます。しかし、巨大さ故に運用が難しく、また鎖国により海軍の出番も在りませんでした。結局、深川御船蔵に抑留されたままでした。しかし、夜になると「伊豆へ行こう、伊豆へ行こう」と騒いだといいます伊豆は安宅丸の作られた場所だったのです。そしてある嵐の夜、安宅丸は海へと勝手に向かいました。そして三崎沖で拿捕されその後解体されました。そして怪異は終わったとされましたが、解体された廃材は売りに出されました。廃材で穴倉の蓋に使った家の妻に安宅丸の霊が憑き、狂ってしまったという話が残っています。

 解体された安宅丸のフナダマサマは、その後、下総国の妙泉寺に奉られ、おいなり様として江戸時代多くの信仰を集めました。現在でも江戸川区谷河内の妙泉寺安宅丸稲荷堂として残っていて、雰囲気のあるいい場所です。近所ですし、いかれようと思う方もいらっしゃると思いますが、妙泉寺は今でも仏事を執り行う現役のお寺ですので、邪魔にならないようにしてくださいね。

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2007年06月03日

ゲゲゲの鬼太郎 第10話 雷獣

 今回は雷獣です。

 お話としては普遍な、人間が封印を破り、鬼太郎が助けにきてくれるというものでした。

 ちょうど昨年の今頃雷獣の記事を書いたんで、そのままタイトル変更しました。
 もともとは「雷と共に現れるもの」だったものです。


 梅雨の時期、夕立の中、夜の闇、光と轟音を引き連れてくる雷は。古来より神の力とされてきました。
 日本では天神さまこと菅原道真や雷神。仏教では帝釈天。ギリシア神話ではゼウス。北欧ではトール。それは天の強大な力であり、まさに神が起こす神鳴りであったわけです。
 
 そんな雷を好み、また稲光と共に地上に来るとされる生き物がいます。雷雲の中を歩き回るその生き物は雷獣と呼ばれます。
 雷獣は時折雷の日に落ちてきます。そして空に帰るときは樹に爪あとを残していくといいます。地方によっては雷獣が帰りやすいように竹をたてておく地方もあります。空以外に山中にいるとされ、時には捕らえられ食べられたり、見世物として江戸や京都に送られたといいます。

 大きさは犬か猫ほど。とここまでは大よそ同じなのですが、これから先はとても違いがあります。


・小型の犬に似て灰色で、長い頭と狐に似た尾、鷲のようにとがった爪をもつもの

・鼬のようなもの。

・3本の尻尾をもつもの6本の手足をもつもの、

・薄赤くネズミのような姿をしているもの耳が立っているもの

・カワウソのようなもの

・蟹のような顔を持つ、ハサミのような爪を持つもの
 

 自分も一度雷獣のミイラを見たのですが、運悪くこげた猫のように思えました。つまり雷獣とは、正体の分からない雷の日に現れる動物の総称なのです。

 しかし、その正体の一つではないかと言われている生き物がうちの庭に(千葉県船橋市に)時折でるのです。

 大きさは60センチあまりで、長い尻尾を持っており、額から鼻にかけて、まっすぐな白い線がはいっています。
 我が家に時折出るのですが、初めて見たときは驚いたものです。雷の日に不意に飛び出してきたのならば、まさに妖怪だと思えるのに十分な大きさでした。

PICT1660.JPG

hakubi.jpg


 では、ハクビシンが雷獣一般の正体かといえばそうでもないようで、まして江戸時代にいたかどうかは分かっておりません。



 さて、妖怪は零落した神であるというのは、柳田國男説であり、聞かれたことはあると思います。しかし、雷獣というのは、実在の獣として多く記録されています。それは当時の価値観も反映されていると思うのです。

 江戸時代というのは、本草学という学問がありました。本草学というのは当時植物から多くの薬が作られていた事から、草(植物)を本にしたものという意味で、薬学ともいえます。そのため、植物だけでなく、動物や鉱物など、薬になる、役に立ちそうなものを調べる学問となりました。雷獣の記録は、そうした視点から残されているように思えます。もっとも当時の事典である和漢三才図会を見ると、今では妖怪に含まれるものの姿を多く見ることができますが。


 さて、雷獣に関して興味をもたれた方は、熊倉隆敏さんのマンガ『もっけ(勿怪)』4巻に収録された話を見ていただくとよいと思います。

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2007年05月27日

朱の盤とか ゲゲゲの鬼太郎第8話

 5話はついに登場したぬらりひょんですが、なんかPSUのニューマンみたいですね。
 さて今回登場の妖怪は、ぬらりひょん、蛇骨ばばあ、百々目鬼、朱の盤ですね。

 ぬらりひょんは正体のわからないやつですが、代々鬼太郎の中では、妖怪王とか妖怪皇帝と名乗り、戦ってきたわけです。
 とかいてから元ネタが本当にわかりません。どなたか教えてください。
 とこれだけ書くのも何なので、wikiの場所書いておきます。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%AC%E3%82%89%E3%82%8A%E3%81%B2%E3%82%87%E3%82%93
 
 
 朱の盤は、東北などに話を残す妖怪です。
 ある若侍が朱の盤という化け物が出る道を肝試しに歩いていました。しばらく歩いていると目の前を侍が歩いています。
「もうしわけない。噂に聞く朱の盤を、退治しようときたのですがどんなものかご存じですか?」
「ええ」
 雷のような歯ぎしりの音がしたと思うと振り返った侍は、皿のように大きい目を持ち、額に1本の角があり、針のような頭髪で、口は耳まで避けた顔でした。
 若侍はもう肝試しも退治もとてもできずに家まで逃げ帰りました。
 玄関で座り込み、妻女に朱の盤にあっとことを告げると、
「それはこのようなものでしたか」
 といった妻女の姿も朱の盤でありました。
 若侍は驚いて気絶しました。
 その時の衝撃が元で百日後になくなったといいます。

 すぐに息絶えたという話もありますが、そうだと話がつながらなくなりますからね。
 このパターンはのっぺらぼう(むじな)のものですね。

百々目鬼について(本編みてからね)
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2007年05月20日

ゲゲゲの鬼太郎第7話 雪女

ゲゲゲの鬼太郎 http://www.toei-anim.co.jp/tv/kitaro/
です

 さて、雪女はどこのお話か?
 と問われたとき、おおよその人はこう答えます。
「雪国」と。


 しかし、雪女を知らしめた小泉八雲の怪談にはどうあるでしょうか。
 青空文庫で・・・・あれない。以外だ。

 ということで、それを翻案しました
 田中貢太郎の雪女を読んでいただきましょう。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000154/files/4947_16626.html

 ね、都内のお話なんですよ。これ。

 
 もちろん、雪国の雪女の話もあります。
 新潟に伝わる雪女は、大雪の年に稀にあう存在で、背の高さは一丈あまり。肌が透き通るように白く、白い単衣を着ているといいます。
 害をなす存在だとされていて、あったら気づかれてはならないといわれています。気づかれると雪に巻き込まれ命を奪われたり、目を離すと崖に突き落とされるといいます。
 子供を持っている時もあり、その子を渡すと徐々に重くなってしまうという話もあります。雪の中に血が点々とこぼれている話が伝わっているのイメージ的にはうぶめと似ていますね。

 自分が昔聞いた雪女の話はこんなものです。
 雪女は自分がきれいな事を自慢にしていて、しょっちゅう人間を誑かしていました。その美しさを誇り、山姥の醜さをばかにしたそうです。怒った山姥は雪女に呪いをかけました。赤い雪が降った時に狂えと。赤い砂が降ると狂った雪女は子供を生み育てます。でも赤い雪がやむと、もとの冷たい雪女に戻ってしまい子供を捨てます。
 
 確か黄色い雪が降っているニュースを見ていて誰かに聞いたと思うのですが、ずいぶん悲しい気持ちになったものです。む?
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2007年05月13日

のびあがり ゲゲゲの鬼太郎第六話より

 ゲゲゲの鬼太郎 http://www.toei-anim.co.jp/tv/kitaro/

 のびあがりです。
 水木さんの絵だと、ああした何か一つ目の巨大なもので進化するとバックベアードや、ビホルダーになってしまいそうな感じです。


 しかし、実際伝説に出てくるのびあがりは、正体がわからない黒い大きなものです。
 見上げれば見上げるほど大きくなり、どうにもならなくなる。見下げれば次第に小さくなるという話です。
 イメージ的にはもくもくとわき上がる入道雲のような巨大さなのでしょう。
 そう考えると見越入道とにていますね。見越入道は最初は小さいけれども見るたびにだんだん大きくなるという妖怪です。
 見越し入道は「見越し入道みこした」と見下ろせば対処できるといわれています。
 では、のびあがりにはどうすればいいでしょうか。
 
 のびあがりに関しては川の近くに出る事から、川獺が正体ともいわれています。かわうそは猫の仲間だから化けると信じられています。
 もしのびあがりに遭うことがあれば、それを試すためにぜひ、「だれや」と聞いていただきたいと思います。「あらや」答えればそれはかわうそだというからです。そしたらしめたもので足下をすくえば、化けているだけなので、簡単に払うことができるそうです。

感想とか
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2007年05月05日

沼御前 ゲゲゲの鬼太郎 第5話

ゲゲゲの鬼太郎 http://www.toei-anim.co.jp/tv/kitaro/


 今回は沼御前です

 沼御前っていうのは、あまり聞き覚えがないと思われるかもしれませんが、カッパのように汎妖なものではなく、もともとは福島県大沼郡金山町で知られている物語です。
 

 いくつか伝承があるようですが自分的に解釈するとこのような感じに。

 佐原十郎義連(芦名家の祖、会津最初の領主で、源頼朝の信頼を得て仕えていた。)は、沼沢湖に魔性の存在がいて、人々が不安に思っている事を聞き、退治に赴いた。
 湖の周りは常に霧がかかり、昼でもなお暗いところから霧ヶ窪と呼ばれており、その中を義連は郎党と共に進んでいた。
 人々の話によると湖にいるものは蛇であるという。
 様子を見るために湖に筏を浮かべると黒い入道が現れ、義連主従に襲いかかった。筏は暗い湖の中に飲み込まれた。
 岸に残っていたものたちは助けようにも水面は波立ち、助けるために筏を出すこともできない。
 水面が二つに割れ水柱が立ったと思うと中から巨大な蛇が姿を見せた。蛇の腹が裂け、中から義連主従は姿を見せました。
 そう、義連の持つ観音菩薩の功徳により、蛇の毒から身を守られていて、切り裂いて出てくることができたのです。
 霧ヶ窪はなくなったものの、湖の中から奇妙な音がすることから、奉ったのが沼御前神社だということです。

 ところが、鎌倉時代や江戸時代にも沼沢湖で怪異が起こりました。
 そう蛇は雌雄であり、雌はまだ生きていたのです。

 
 と、このあたりが沼御前のバックグラウンドです。
 鬼太郎本編で探していた第5話 『呪われた映画』 内で沼御前が、失われた夫といっているのは、この雄の方なのでしょう。

 水辺と水妖は西洋のオンディーヌ、日本の濡れ女など、いとまがありませんが、母なる海(水)の暗黒面なのでしょうか。
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2007年04月28日

海座頭 ゲゲゲの鬼太郎 第4話

ゲゲゲの鬼太郎 http://www.toei-anim.co.jp/tv/kitaro/

 今回は海座頭です。タイトルは一反木綿でしたけど。

 姿としては、本当に座頭。琵琶を背負った僧形ですね。鳥山石燕の百鬼夜行図にあるといいますから、海坊主があるんだから、って感じで創作なのかとも思います。
 海坊主は割合いろいろなところで聞く伝説です。実はこれは何本か足がありつるっぱげなというところからタコのようなものが海坊主といえるのかもしれないです。すっぽんの体で頭だけが人間という
 海坊主は吉祥である(見ると長生きする)、不吉である(人を海に沈めて殺そうとする)という2つの系統の話があります。これは、それから後に何が起こったかによって、地域の伝承が変わっているんでしょう。
 
 西洋はクラーケンというのがいます。あれもハゲ頭というイメージがあります。タコやイカのようなものが浮かんだと思います。しかしクラーケンはもともとはシーサペント等の海竜であったようです。それがどうしてタコやイカになったかと言うとクラーケンには水を黒くする力があったと伝えられています。それがタコやイカとの混同されていった理由のようです。

 話がずれましたが、ともかく日本にも西洋にも海のお坊さんのようなものがいるというのが分かりますね。
ところで中国に和尚魚というのがいます。


 といって、そのまま話を進める気だったのですが・・・
 まあ妖怪などについてまとめたものでは和尚魚に関しては大よそこのような文章があります。
『大洋にいる海坊主はすっぽんの体に人頭で髪が無く、大きなもので5,6尺ある。これを見ると不漁になる。捕らえて殺そうとすると涙を流して助けを乞うように見える。中国では和尚魚という。』
 この辺りの記述って三才図会から来ているもののようです。
 

 ところで自分の調べた限りでは中国で和尚魚というのはすっぽんではありません。和尚魚とはそうイルカなのです。そう考えると『涙を流して・・・』は、イルカが泣くのは知られている話ですので頷くものがあります。つるつるしたイルカの皮膚の感じも、坊主の頭のようなイメージも一致するのですがどうでしょうか。ネタバレ感想
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2007年04月24日

夜叉 ゲゲゲの鬼太郎 第3話

ゲゲゲの鬼太郎 http://www.toei-anim.co.jp/tv/kitaro/

 

 これは鬼太郎では割合に長い歴史を持つ敵キャラですね。
 魂を抜き人を操り人形にする能力を持っていました。
 髪の毛の塊みたいな姿から自分の中で、長らくおとろしと被っていたものです。

 記憶にある限りでは

1.1千年前に中国から来て、埋められているのを有馬博士に掘り出される。
2.ギターを弾いて、人間を洗脳状態にする。
の2つのような気がします。

 前作のアニメでは猫娘と絡んだ切ない話だった覚えがあります。→ラークシャでした
 http://www.nicovideo.jp/watch/sm196456

 妖怪としての夜叉ですが、もともとヤクシャと言われインドでは野原に出現する精霊の名だったといわれています。
 土地神であり、また女性のヤクシーは美しく豊穣をもたらす女神でありました。その主は富の神クヴェーラであり、信仰の対象でした。しかし、民族が変化し、信仰が変化し、恐ろしい悪鬼となりさらにそれが佛ヘに吸収され、四天王に含まれる毘沙門天となりました。しかし、中国では恐ろしい肉食の化け物になってしまいました。襲うのは人だけでなく、牛や豚など肉なら何でもいいようでしたが。その力は一夜で五百里かけ、海も鮫のように泳いだといいます。
 夜叉はそれだけで終わらず更に変化しました。夜叉と人間が恋に落ちる話が出てきたのです。この夜叉は礼儀正しく、娘と結婚したといいます。
 さらに海には夜叉国と言われる夜叉の国が現れました。そこに流れ着いた人間と夜叉は結婚もしたといいます。ちなみに夜叉国の美醜の基準は人と逆で、醜いものほど美しいとされ、醜いものほど高い地位にありました。時には人界に夜叉の伴侶を連れて戻るものもあり、その子供たちは夜叉の力を受け継ぎ優秀な存在だったといいます。その子らは宮廷に使え、力を振るったといいます。

飛天(上の話を元に妄想したもの)
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2007年04月17日

がしゃどくろ ゲゲゲの鬼太郎 第2話

ゲゲゲの鬼太郎 http://www.toei-anim.co.jp/tv/kitaro/

 第二話はがしゃどくろでした。


 水木ロードのがしゃどくろ http://www.sakaiminato.net/site2/page/guide/point/miru/mizuki/youkai/gasya/

 がしゃどくろは創作妖怪なのは一頃2chで捏造妖怪がどうのこうので騒がれたのでご存知の方は多いと思います。
 まあ、捏造というか、基本的に妖怪というか江戸時代の化け物は創作もありますし、それがこれだけポピュラーになったのはすごいと思うんですよね。

 興味がわかれましたら、
Fantapedia〜幻想大事典  http://www1.atwiki.jp/occultfantasy/
 さんのがしゃどくろの項目に詳しいです。
 
 感想としては、がしゃどくろという名前は、ネーミングとしてもいいものと思うのですがどうでしょう。
 いくつもの骨が音を立てながら合体していく様はなかなかおどろおどろしいものがあると思うのですが。


 今回もドクロが話しておりましたが、当たり前の話ですが、骨だけでは話しません。
 ところが髑髏が言葉を発するという話が残っています。
 有名なところでは様々な民話や昔話、伝説の原型になっている『日本霊異記』に記載があります。

 寶龜9年(西暦778年:清水寺ができたくらい)備後國(広島の辺り)の人が、日が暮れてから竹藪を通ると、『目が痛い』と泣く声がした。見ると、髑髏の目に筍が生えていたので、これを抜いてやった。すると、後に髑髏はその姿で礼に来たという
 物いう髑髏というよりは幽霊の話ともいえないことはないですが。

 同じ日本霊異記なら自分的には法華経を読んでいる髑髏の方が印象に残っています。

 孝謙天皇の世(西暦758年〜)ある禅師が永興禅師を訪ねてきた。禅師は一年余り滞在した後、法華経を持って山中に修行にいったまま帰らなかった。
 2年ほど過ぎてから村人は山の中で法華経の声を聞いた。そこで喜捨をしようと探したが誰の姿もなかった。
 さらに数年が過ぎ永興禅師が山の中を訪ねると髑髏が転がっており、その下が法華経を唱えていた。
 この話を聞いた時には、ありがたみよりもむしろ怖さを感じたおぼえがあります。


 ちなみに日本霊異記は弘仁13年 (西暦822年)ですから、私たちするとおじいさんの時代の話を語っているくらいの感じを受けるかもしれませんが、昔の平均寿命を考えると数代前の物語となるので、なかなか裏がとれないが、リアルを感じるくらいの時代の事を書いたといえます。ネタバレ感想
posted by 九十九屋さんた at 05:51| 千葉 ☀| Comment(0) | TrackBack(1) | コラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年04月01日

水虎 ゲゲゲの鬼太郎 第一話

 さて、ゲゲゲの鬼太郎 第一話を飾ったのは、「水虎」です。

ゲゲゲの鬼太郎 http://www.toei-anim.co.jp/tv/kitaro/

 水木先生のイラストはこちら
http://www.top-page.jp/site/page/mizuki/complete_works/list/sa004/
 水木先生の絵を見ると大きな河童っていう感じですね。




 鬼太郎シリーズには何度か出てきたことある妖怪です。憶えているのは液体状で人間を乗っ取って行動するタイプや、中国代表として毛沢東語録を手に妖怪ラリーに出たりしました。
 あまり今日のとにていませんね。


 さて、水虎はどのような妖怪かといいますと、河童の一種といわれています。一種というか、むしろ江戸時代にかかれた河童の考察をした本はその名も『水虎考略』という名ですので、昔はこちらの方が有名だったといえます。
 水虎は河童に比べると力が強いイメージがありますが、それは名前のイメージの気がします。水の虎と、河の童ではねえ。
 さて中国の水虎ですが、小児のような背格好で、鱗甲がある。膝頭が虎の頭部に似ている。常に体を水中に沈め、膝頭だけを出している。小児が水虎だと気づかずに、それをとろうとすると命を奪われるといいます。ちなみに中国ではピラニアの事を水虎魚というのですが、その辺りのイメージが投影されているのかもしれないです。
 現在ですと中国の水の怪異というと水鬼になっています。水鬼とは水中でおぼれた人間の霊が、人を引きずりこみ、代わりの人間を殺すことで、自分があがれるという仕組みです。霊ということで見えない(実体)がないというのを判断しているように思えます。
 
 力や妖力が強く、姿が見えないというのは『閑窓自語』の話が元になっているのかと思います。
 
 河朗(水虎)は人を襲って命を奪い、誘し、深夜に人家に来て人を呼ぶなどの行為を行います。人を殺すと、精気を奪い、その屍を返しにくるといいます。しかし、屍を棺におさめたり葬ったりしてはいけないです。
 そのまま板に載せ、草庵をつくって中に入置き、腐敗するに任せます。そうすると亡骸が腐乱する間に、襲った方の河朗も、腐って斃れてしますのです。その間、草庵のまわりを悲しみ泣きめぐる。人にはその姿が見えない。ただ声だけを聞く。
 そして死んだ時のみその姿を見るというのです。

 この辺りが不可視のイメージの原型って気がするんですが、いかがでしょうか?
posted by 九十九屋さんた at 19:34| 千葉 ☁| Comment(0) | TrackBack(1) | コラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年03月06日

姑獲鳥と産女

 姑獲鳥(こかくちょう)は、夜に飛びまわるとされ、鳥の姿をしていますが、羽毛を脱ぐと女の姿になるといわれました。夜行遊女とも、天帝少女とも呼ばれたといいます。白鳥の湖のオデット姫を思い出す美しい幻想ですね。
 しかし、正体は死んだ産婦の霊とされました。そのため、人間の子を攫い、育てます。その時の目印が、子供の衣服につける血とされました。この辺りから鬼車鳥との混同がされていったのかもしれません。
 姑獲鳥という文字は、京極夏彦さんの小説『姑獲鳥の夏』で、有名になったと思います。この物語では姑獲鳥と書いてうぶめと読んでいます。

 うぶめは産女と書きます。子供を持ったまま亡くなった霊がうぶめになるといいました。雨の降る夜に燐火を伴った鳥か、足元が血でぬれた女の姿をとります。また、人に会ったら子供を預けます。子供はだんだんと重くなりますが、持って耐え切ると、石塔や木の葉、岩へと姿を変えます。
 そんなうぶめが安産の神様になる場合もあります。室町時代、鎌倉の大巧寺の日棟上人が滑川の橋を渡ると子供を抱いた女がいました。女は告げます。「川の水が血で汚れて渡れません。それにややが乳を吸い苦しいのです」。上人が経をあげると女は姿を消しました。数日後、見違えるように美しくなった女が現れ、塔を建ててお産に苦しむ人を救ってほしいと言ってお金を手渡しました。上人は女を産女霊神(おんめさま、おんめ様)として寺に祭りました。

 他にも静岡の産女観音があります。
 戦国時代、牧野喜藤兵衛清乗という武士が戦いに負け、逃れてきました。一緒に逃げていた妻は臨月で、したが急に産気づき、ひどい難産で、亡くなってしまいました。
 手厚く妻を葬られましたが、成仏できずに、夜な夜な、幻となって村をさまよい、「とりあげてたもれ(助産してください)」と、悲しげに頼みました。
 村人は哀れに思いましたが、幽冥の境は大きくどう助けていいかわかりません。その事を告げると「夫のカブトのしころ(錣)の内側に、わが家に伝わる千手観音を秘めてございます。その御仏に祈ってくださればよいのです。これからは、子どもの恵まれない方、お産みになさる方は、この御仏にお祈りしてください。必ず、お守りくださいます。」と告げます。
 村人は、千手観音を見つけだし、正信院に納め、清乗の妻のために祈りました。清乗の妻があらわれ、お礼をいい、お礼にこの村の守り神になることを告げます。
 以後、村ではお産で苦しむ者がいなくなったといいます。後に、村の名を産女(うぶめ)、正信院の山号も通称「産女山」と呼ぶようになりました。

 子供を人に渡したり、経を上げてもらうのも、一人で抱えきれない命の重さを、数人で分かちあえば支えられるという象徴なのかもしれません。


 さて、七草からはじまって鬼車鳥などといろいろと考えてきたのも今回で終わりです。
 まとめたものは、こちらにありますので、よろしければどうぞ。
http://3ta.seesaa.net/article/30936389.html
posted by 九十九屋さんた at 21:11| 千葉 ☁| Comment(0) | TrackBack(1) | コラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年02月10日

唐土の鳥

天に七星 地に七草 http://3ta.seesaa.net/article/30936389.html
の続きです

さて、歌詞の意味ですが、ここで語られる鳥は唐土(とうど)をはじめ、日本にいない鳥だと思ってもらえればいいでしょう。鳥というのは、風に乗り、運ぶものという象徴を持っています。そのためいつの間にか訪れる疫病を象徴しているともいわれます。その鳥を七種の菜をうつ音で追い払う、またはこないようにしてしまおうという意味です。具体的に正月7日には唐国の鳥である鬼車鳥(きしゃちょう)が多く出て、家々の戸をたたく話もありますから、対策は万全にということでしょうか。
 
 鬼車鳥とは、五嶺の外れにいるという、アヒルに似た鳥です。ただし、色は赤くて、九つの首を持つといわれています。春夏の間は、薄暗いうちに、鳴きながら飛びます。もともと頭は10あったのですが、そのうちの一つを犬に噛まれて失っていて、傷口から血を流し続けています。こっそり人家に入り、人のたましいを食べるというのです。また、この血をたらされた家は不幸になるといいます。
 車というのと、輪というのが自分の中で連想されたので、なんとなく円盤系の飛行物体をちょっと想像してしましまいました。
 日本では、この血は毒といわれ、子供の乾いた着物にかけていくといいます。知らずに着ると疳の病をわずらうといいました。
 正月七日だけしかこないなら、これといって心配のないと思われるかもしれませんが、夜切ったつめを外に食べにくるという話もあるので注意したほうがいいかもしれません。

 実際この得体の知れない鳥はフクロウではないかといわれています。フクロウは昼は眠っており、晩になると飛び立ち、ネズミやウサギといった獲物をとります。その様が古人にとって不思議だったのでしょう。

 ところがこの鬼車鳥は、姑獲鳥というまったく別の妖怪だという話も伝わっています。
posted by 九十九屋さんた at 09:04| 千葉 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | コラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年11月07日

身代わりのお守り

 ある女の子が大病を患っていました。
 毎日、少しずつ衰弱していきました。
「親しい人を集めておいてください」
 医者も諦める事を肉親に匂わせます。祖母はそれを聞きながらできることをするだけでした。
「これは大師さまのお守りしい」
 祖母はお守りにヒモを通すと少女の首にかけました。
 女の子は峠を越え、一月あまりで回復しました。
 祖母は大師さまに心の中で何度を頭を下げていました。
 年の瀬になり、女の子は祖母と共にお寺にやってきました。少女の首にはあの病気の時以来のお守りがぶらさがっています。
 新しいお守りを分けてもらい、お守りをおたきあげしようと中を見ると、お札が真二つに割れていました。
 
 あ。
 気付いた時男は車に引かれ宙高く舞い上がった。
 交通事故に巻き込まれた男性が車にぶつかったのに無傷でした。
 普通、アスファルトに叩きつけられたのだから、大怪我をして当たり前なのに。しかし、男性の鞄は無事だったのに、中のお守りだけはきれいに壊れていました。


 このように気付いたらお守りが守ってくれていたという話は多くあります。皆さんも一度くらいはそう感じた事や、話を聞いた事があるかもしれませんしかしお守りが割れたり、壊れたりしたのはただの偶然かもしれないのです。
 人が亡くなった朝カラスが啼いていた。きっと知らせていたのだ。と思うことがあります。実際、カラスは毎日鳴いているものです。そのように過去が現在を受けて、解釈されるわけです。
 そうはいうものの、自分もきっと九死に一生を得て、お守りが壊れる事があったら間違いなく、お守りのおかげで助かったと人に話すと思います。

 お守りがこのように考えられるようになったの、神仏に関わるものが災厄の身代わりを引き受ける話が、存在しているからです。
 例えば船橋の藤原堂に納められている木彫りの観音像にまつわるお話です。

  ある男が、長年の宿願だった観音像を奉ろうと思い、都の仏師に作って貰う事を頼みました。仏師は、慈悲の心があり、幼いころから観音様を篤く信仰していました。観音様の功徳か、仏師はとても美しい像を造りあげました。
 仏像を持って男の家に届けると、仏師は褒美を与える事にしました。それはとてもいい馬でした。仏師はとても喜び、褒美の馬に乗って都に帰って行きました。
 馬がいなくなってみると、男は馬が惜しくなりました。そこで家来に仏師を射殺し、馬を取り返してくることを命じました。
 家来は待ち伏せし、命じられるままに仏師に矢を射掛けました。背中から貫いた矢によって仏師は倒れ、馬を奪い、家来は戻りました。
 馬を取り戻したものの男は、不安に思いました。そこで家来に都に様子を見にいかせます。
 家来が都にいくと、仏師は生きていて、取り戻したはずの馬もいるのです。
 家来はあわてて屋敷に戻ると、男にその事を告げます。馬小屋に行くと馬はいません。そして観音様を納めた厨子を開くと、その胸は矢で射抜かれたように血が流れていました。
 
 この射られた観音像は、京都の穴太寺に祀られています。では藤原にあるのは何かともうしますと、同じ木から作られた同じ仏師の作だそうです。
 そのせいで、どこかで伝承が変わってしまったのかもしれないですね。

 今回、身代わりの仏さまのことは割合多かったです。調べていて実は同じところで作られていて、みんなでたばかられていたら怖いなと思いました。
 そういう伝承はありませんでしたが。
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2006年10月09日

三枚のおふだ

 みなさんはお守りをお持ちですか?
 自分も大神宮のものを持っていますが、近所の神社や、観光にいった先の神社仏閣でお守りを手に入れるのは珍しい事ではないと思います。
 お守りの本体は中に入っているお札で、袋の部分はお守りを保護する為にあるものです。

 お札が命を救ってくれたという話は大きく分けて2つのパターンがあります。1つは自分から用いるものです。投げつけるなど道具のように使うパターンで、有名なのは『三枚のお札』ですね。

 小僧さんは栗をとりに行きたくてしょうがありません。和尚さんに無理をいって山に行く事を許してもらいます。心配した和尚さんは三枚の札を小僧さん持たせます。
山に入った小僧さんは山姥に捕まってしまいますが、厠(トイレ)にいきたいといって逃げ出します。ところが山姥は追ってきます。追いつかれそうになる度に、お札を投げつけます。それは火となり、山となり、川となり、山姥を防ぎます。
 どうにか小僧さんはお寺に逃げ込みます。でも山姥は寺に入ってきます。和尚さんは釣鐘の中に小僧さんを隠して、山姥と向かい合います。和尚さんは小僧を出せという山姥をおだてて、小さくなる力を見せるようにいいます。そして小さくなった山姥をモチにくるみ食べてしまいました。
 こうしたのがあらすじですが、主人公は娘さんになったり、山に行く理由も追い出されたり、花を摘みにいく事もあります。

自分の好きのなのはこの話です。(子供の自分に聞いているので原型と違っている可能性があります)

 その山寺は美しい桜の大木があり、春になるとたずねてくる人がおりました。
 山寺ではそんな人に白湯を振るまいました。小僧さんはいつものお勤め以外にそんな仕事が増えますからあまりこの季節は好きではありませんでした。
 でも、或る日の事、小僧さんの気持ちは一変しました。
 立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花ともうしますが、山寺の桜の下に立つその方は桜に負けぬほど美しかったのです。
 菩薩だと小僧さんは思いました。
 思慕が表に出たのか、その方は親しく小僧さんに話しかけてくれます。近くの山の長者さまのこいさんで、桜が好きで近くの村に春だけ逗留している事。その山は大層栗が多くできること
 桜の時期が終り、こいさんは家に戻ることになりました。こいさんは小僧さんにいいます。
「栗の時期になったら遊びにきなさいな」
 一日が一年に及ぶような日々が続き夏が過ぎ、やがて秋になりました。小僧さんが和尚様に言いますとこいさんとの約束を告げますと、お勤めを申し付けたり、写経をさせたりと、なかなか出してはくれません。
 しかし、木々が色づきますともう耐え切れずにこっそりと抜け出します。朝早くおきて外にいきますと、和尚様が立っております。
「そこまでいうのならば仕方ない。ただこれをもっていくがよい」
 小僧さんはこいさんの呼んでいた山へと向かいます。
 山の中とは思えないような大きな屋敷に迎え入れられ、昼はこいさんと栗とりにがんばります。
 山の中の屋敷にいるのはこいさんだけでした。
 昼間動きすぎて疲れすぎているのと、たのしくて胸がいっぱいでなかなか眠れません。
 その耳に夜中だというのに何か音がしてきます。
 こいさんに何があったのかと、足音を忍ばして、小僧さんは起き上がりました。
 音は厨から聞こえてきます。
 そっと中を覗きこむと、こいさんが大きな鉈ほどもある包丁をといでいました。
 その時、床がみしりと軋みました。
 振り返ったこいさんは美しい女性ではなく、修羅の如き、山姥の姿でした。

 と、あとは皆さんが知っているのと変わらないのです。
 結局襲われてしまいます。しかしながら、なんというか、恋心を微妙に利用されている辺りがなかなか好みなのですよ。


 さて、お守りの効能ですが、もう1つは気付いたらお守りが守ってくれていたというパターンです。こちらはまた次回に。
posted by 九十九屋さんた at 08:38| 千葉 ☀| Comment(0) | TrackBack(1) | コラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年10月03日

聖徳太子とモノノケ

 聖徳太子の事は皆さんご存知ですね。その像が今でも船橋の西福寺にあります。
 なぜかといいますと江戸時代、講といわれるものがありました。

 講とは今でいうと互助会と組合を合わせた様なもので、各々が持ち寄ったお金を工面しあったり、また何かの折には宴を開いたりしまいた。その一つ太子講は、大工、左官、鍛冶屋などの職人仲間の講でした。太子講では太子を祭り、絵や像を飾り、その前で宴を開いたといいます。この像はその痕跡なのです。

 実は太子は伝説にも多くの足跡を残しています。例えば空を飛ぶ馬に乗った。人魚に哀願されて寺を建立した。納豆を発明した。日本で最初に富士山に登った等があげられます。

 中でも印象深いのが滋賀県の八日市場に伝わる伝説です。何といっても名前の由来である八日市場が太子の肝いりで始まっております。しかも背景にも妖怪が絡んでいるのです。

 大阪に太子が建立した四天王寺という寺があります。四天王寺は現在まで続く太子信仰の中心ですが、、もともとは戦に勝利した暁に建立すると神仏と約束した特別な寺でした。そのため四天王寺で使う瓦を焼くために、霊験あらたかな土が必要でした。太子はほうぼうを探した挙句、箕作山にその土を見つけます。しかし、その辺りは霊地であるが故に妖怪(精霊)が棲んでおり、迂闇に踏み込める場所ではありませんでした。太子は妖怪たちに「この土地は、妖怪の土地(妖怪地)である事を認める。その代わりに瓦を焼かせて欲しい」と申し出ました。妖怪たちはその条件を呑みました。四天王寺の瓦はこの地の土で焼かれ、八日市は妖怪地という裏の意味を持つ事になったのです。そのためか八日市には今でも多くの妖怪の話が残っています。

と終わりたいところですが、実はこれは創作だそうです。
 でも、きっと百年、いいや五十年もいい続ければ真実になるかもしれません。三人言いて市場に虎を成すという言葉がありますが、一つ皆さんもそれを信じて語り、世に妖をなそうではありませか。電網世に妖怪地を為すとかいう感じで。

そんな八日市で今年もイベントが行われます。
 第二回「妖怪in東近江」
    「おばけフェスティバル・聖徳太子の謎」
 行われるのは 太子ホール http://taishihall.net/
 第一部14:30開演 第二部18:00開演
 入場無料だそうなのでぜひ近在の方はお越しください。
posted by 九十九屋さんた at 15:17| 千葉 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | コラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年09月21日

ぼんぼん山。あるいは七廻塚の話

 山の周りを七回回ると、お姫様の霊が出てくる。そんな話を聞いて、ぼんぼん山を訪ねた。

山といっても、千葉には山らしい山はなく、丘程度の大きさだ。
 二瘤のラクダのように、横から見るとくびれて見えるそれは前方後円墳なのだ。古墳に上ると、芝生のようになっており、日が照っている。

PICT1475.JPG

 一周してみたが、ここを七回りするのはかなりしんどいと思えた。


 調べたところ、もともとお姫さまに類する話は、この大覚山古墳に伝わるものではなかった。


PICT1473.JPG

 現在は学校の校庭になっている七廻塚古墳の物語であったという。この塚を夜中に七回まわるとかすかに機織りをする音が聞こえてくるという伝説があり、またの名を姫塚といった。

 この塚の上には、鷲宮神社の碑があり、天日鷲命が祭られていた。これは紡績の神である。
 もともと貴族たちが神の子孫であるという思想がある。今では消えつつあるが、一般的に氏神といわれる神だ。
 皇室のご先祖が天照大神とされるように、天日鷲命もある一族の祖とされている。それが忌部氏だ。
 忌部氏と聞いて、ピンとこないかもしれないが、ヤマトタケルはどうだろうか。
 ヤマトタケルは、松戸や、船橋、木更津、蘇我といった地名を残しており、千葉にもきことになっている。彼は勇者である。当然パーティを引き連れていたわけだ。そのように共にきたのが忌部氏なのである。

 この付近の名称である生実は、忌部氏の一族である麻績氏からとられている。その名通り、麻を積む一族であった。その記憶が残り、機織の姫の物語ができたのだろう。
 また、伝説はもう一箇所変化して伝わっており、小学校の裏の塚の廻りを七度回ると、一本足の怪女が出るとなっている。


 とまあオカルト話はさておき、実際七廻塚にあったものを見ることができる。

千葉市埋蔵文化財調査センター http://www17.ocn.ne.jp/~maibun/index.html

 である。


 ちょっと不思議なことだがしっかり副葬品は女性用のものだった。もしかしたら彼女は本当に音を立てたのかもしれない。

PICT1468.JPG

PICT1461.JPG

 
 
(実際いったのは一年ほど前です)
 
posted by 九十九屋さんた at 19:14| 千葉 ☀| Comment(0) | TrackBack(2) | コラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年09月06日

冥界の官吏 小野篁

 藤原良相が目をさますとそこはどうも法廷のようだった。目の前には役人を思わす男が座っていて、それ以外にも幾人の役人の姿があります。
 確か高熱を出し、家でうなって眠っていたはずだ。そして妙な男に声をかけられて、気付けばここにいたのだ。
「藤原良相。ここは閻魔庁である」
 目の前の男が閻魔王だ。そう思うとあの男は死神で、自分は死んだのだ。
「大臣は、正直で良い人だ。私に免じて許してくれないか」
「篁がそういうのなら立派な人物なのであろう」
 そういった男は藤原良相の知っている小野篁であった。
「この男を戻せ」
 死神と思える男に連れられ、藤原良相は屋敷に戻った。病は癒えていた。
 回り手は大騒ぎをしており、自身が死んでいたのがわかった。
 後に朝廷で篁に会いそのことを尋ねると、「口外はしないようにしてくださいと」との事であった。

 前回は地獄のお手伝いをする人間がいるという話をしました。
 篁は歌人として知られていますが、遣唐使に任じられながら揉め事の為に船に乗らずに流刑にされたこともありました。
 それ以外にも、おかしいと思うと、約束事を守らない事から風狂の人と呼ばれました。むしろ小野小町の祖父であるといった方が通じがよいでしょうか。役人としては、弾正台(非違の糾弾・弾劾をする部署で、『ただすつかさ』とも読みます。今で言う検察)の次官や、勘解由使(役職の前任者と後任者との間で利益を巡る争いを裁く部署。とくるよしかんがふるのつかさ)の長官を勤めました。
 その際の公明さが、小野篁を冥界にといざない、閻魔第三の冥官として、閻魔さまの補佐を勤めさせる事になったのでしょう。
 また個人としても清貧に甘んじ、給金のほとんどは縁者に配ってしまったといいます。

 篁はもともと常人ではなかったという話もあります。
 乙女であった女性が戯れに竹と交わったところ、子を授かりそれが篁であるというのです。

 さて、生身のまま地獄に行くにはどうしていたかというと京都にある六道珍皇寺の井戸から下り、嵯峨の清涼寺横の薬師寺境内の井戸から上ってきたといいます。六道珍皇寺は篁堂といわれる建物があり、等身大の閻魔さまの像と篁の姿を見ることができます。
 
詳しく知りたいと思った方は、
篁山竹林寺縁起絵巻
http://www.lib.hiroshima-u.ac.jp/dc/kyodo/chikurinji/top.html を
見ていただくと楽しいと思います。
posted by 九十九屋さんた at 05:53| 千葉 | Comment(0) | TrackBack(0) | コラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年08月12日

地獄の釜が蓋を

暑い日々が続いておりますが、みなさんいかがお過ごしでしょう。

 お盆は地獄の釜の蓋が水底に開くので、水辺で遊ぶな。といわれたものですが、聞いた事はおありでしょうか?
 理由は普段地獄の釜にいる亡者が水底から現れ生者を引き込むからというのです。
 これは仏教の伝承に関連するものです。地獄というのは実は年二度休みの日があります。1・7月の15日です。この日は地獄の釜が開くといって、地獄が休憩になるといいますが、一部の地域では、お盆の時期にずれ込みそんな伝承になったようです。

 さて、地獄といいますと、閻魔さまですね。
もともとはヤマと呼ばれており、最初に死んだ人間といいます。そのため天上の死者の国の王となりました。そうヤマは天にいて、亡き人々を迎える神様だったのです。その世界は明るく素晴らしい天国や極楽といっていい世界だったのです。
 しかし、いつの頃からか死者の国は地下に変えられ、地獄となり、ヤマもまた恐ろしい存在に変わっていきました。さらに中国で十王説(十人の裁判官によって死んだ人間が裁かれる。メンバーは仏が姿を変えたものともいわれる。閻魔王はその一人であり、地蔵菩薩の化身とされる。)に組み込まれ、生前の罪状をあばき、様々な責めを行う官吏めいた存在となりました。
 西遊記をイメージしていただくとわかりやすいと思うのですが、中国は天界や、極楽、道教など様々な世界が混じっています。
 そのせいか、大本の冥界を司るのは? 都の東岳大帝となっております。その補佐をする形で、閻魔さまを初め十王がいます。さらに足りなくて、各土地ごとに城隍神という土地神さまが死者の管理をしています。それだけでは足りず、生きながら手伝わせるというむごいまねもあります。
 どんな様子かというと、その男の人は近所で死人が出そうになると急に眠り込んでしまい、亡くなると起き上がり仔細を説明したそうです。

 流山の流山駅近くの閻魔堂には、江戸時代に作られた閻魔大王の座像がありますがその姿ですね。閻魔堂には、江戸時代の義賊金子市之丞の墓もあります。
 義賊といわれるのは、罪を犯しながら悪人ではないというニュアンスがあります。善悪も時代や場所状況で変わります。そのせいか、様々な人間が閻魔さまを補佐する為に地獄に呼ばれた話が残っています。
posted by 九十九屋さんた at 10:54| 千葉 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | コラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年06月17日

牛と水神

手賀沼の主 http://youkai.seesaa.net/article/16316117.html#trackback
の続きです。

 様々な場所で、牛と水辺が関わっている伝説がある事をお話しました。しかし、どうして牛かという具体的な理由は語られていませんが、ヒントになる話が伝わっています。

 まず、中国のお話です。
 氾濫した川の中で、何かがくだっていき、水が引く頃には上っていった。その時、水は逆立ち,牛のような背中だけが見えた。昔からそれは河伯であるという。
河伯というのは中国で言う水の神ですので、主といっても差し支えはないと思います。

 水神に祈祷して願う事はいくつかありますが、そのひとつに雨乞いがあります。雨乞いの際に、生贄が捧げられますが、その供物の中に牛があります。牛が捧げられた際の行事を殺牛祭神といいます。
 漢国神と言われる事から朝鮮半島を経て日本に伝わってきたものとも、固有の行事であるともいわれるものです。説が割れるのは、各地で行われていたからです。殺牛祭神は、雨乞いを含め、農耕全般に関わる豊穣を祈る儀式でもあったからです。
 農業と牛というのは中国から伝わってきた発想かもしれません。農業の始祖とされる神農は牛の姿であり、風雨を操ったとされる蚩尤もまた牛をシンボルとしてもちます。また、中国では土製の牛の作り物は寒さをあらわし、冬が終わると共に放り出されたという伝承があります
 しかし殺牛祭神は、仏教が広がるに連れて、殺生が禁忌のものとなり消えていきました。

 水に関わる牛の伝承は、河伯と、殺牛祭神が根底に残っていると思うのですがどうでしょうか?

 ちなみに福島県には雨乞いと牛の関わりをよく残す伝説が残っています。


 ある牛が主人が鹿を追って帰ってこなくなったので、小野嶽の頂上にある小野沼に飛び込んだ。ここで牛の話をすると必ず雨が降る。牛の首を作って沼に投げ込み、雨乞いをする。牛の生首を投げ込むと大嵐になって、会津ではその年、米が取れなかったという。
posted by 九十九屋さんた at 19:39| 千葉 🌁| Comment(0) | TrackBack(1) | コラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする