2016年11月21日

タラスクス 〜リヴァイアサンの子供〜

タラスクス

SS 聖女の奇跡  
 ローヌ河の川辺から見える渦は全てを吸い込むように思えます。それが地獄の門のように思えるのはわたしの気のせいではないでしょう。
 渦の周りに引き寄せらているタラスクスの食べ残しであるは人間の四肢や胴などが見えます。
 わたしは祈りました。彼らができるだけいい状態で天国、最悪煉獄にはいけるようにと。復活の時に欠けるのは大変と思うけど、それは最初にして最後の主にお任せしましょう。
 わたしができるのはここでタラスクスを止めることだけすから。
 人が言うようにタラスクスは邪悪な生き物なのでしょうか?。神は7日で世界を作られたといいます。それならタラスクスもまた我々と同じ神の子なのではないでしょうか。
 そう思っていると渦の中から煙のようなものが上がり始めました。
 苦しくなっていく息を感じながらわたしは出てくるタラスクスを見ました。
 それはワニに似ていました。しかし、その足は六本で爪とも刺ともつかないものがはえています。
 それは足を突き出しました。自分の足元が一気に崩れます。
 わたしなど受けたらすぐに御許に召される事になるでしょう。やはりこれは悪なのだ。
 そう思ったわたしはタラスクスに向かい聖水を振り掛けました。邪悪なものならそれで傷つくはずです。しかしタラスクスは動きが静まっています。
 わたしはじっとタラスクスを見ました。タラスクスは傷をおっています。わたしは十字架を差し出しました。神の奇跡を願うと、タラスクスの傷がいえていきます。この傷がこのドラゴンを狂乱させていたのでしょう。
「もうだいじょうぶ」
 タラスクスに向かいわたしは帯をかけました。こうしているところを見ればきっと人も安心してくれるでしょう。 

〜リヴァイアサンの子供〜[由来]
 タラスクスはリヴァイアサンとロバのあいのこと言われる魔物です。顎にはワニのような牙が生え、甲羅のような鱗は全身を包んでいます。6本ある小さな足には鋭い爪があるといいます。吐き出す空気には毒があり、その糞は燃え上がったといいます。
 伝説によると聖女マルタによりかけられた帯は鉄のように硬くなり、タラスクスの動きを奪いました。そして地元の人々から石を投げられ殺されてしまったそうです。
 その程度の防御力なら遠くから弓の一斉射撃とかで片付けられたのではない
かと思いませんか?。実はそれには理由があるのです。


〜イギリスと北欧〜 [余談]
 キリスト教の中ではドラゴンは悪の象徴と言われています。そのため聖ジョージ、聖マルガレータ、聖ダニエルなどがドラゴン退治をしています。その中でももっとも恐ろしいものとれるのは黙示録のドラゴンでしょうか。
 ドラゴンが悪役となったのはキリスト教のもととなったユダヤ教に関係しています。ユダヤ人はオリエントの民でした。その当時、彼らが信仰した神マルドゥークやバールが、戦ったのがいずれもドラゴンでした。そこで分かりやすい悪の例えとして、ドラゴンが上げられたのです。
 聖者がドラゴンを退治するのが、キリスト教が布教活動する中で力を示すために使われました。その中で遠距離から弓で殺してはだめだったわけですね。あくまでもそれを退治するのは神の助力があったからこそなのですから、正々堂々と渡り合う必要があったのです。

posted by 九十九屋さんた at 21:16| 千葉 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | コラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月21日

酒呑童子 外道の子

酒呑童子

 GW中に名古屋にいってきたんです。メインの用事は、友人と会うことだったんですが、時間に余裕を持って回ることに。神社回るのが好きで、いけそうな場所だと行ってみるのですが、今回行ったのは多奈波太神社というところ。天之棚機姫命、織姫さまの系統の女神様ですね。我々が住んでいる辺りの旧国名は下総。語源は総というのは麻の事で、布が絡みます。その手で伝承が関わる処は見に行くようにしているのです。

 さて、今回は酒呑童子。
 酒呑童子というのが、金太郎と似ているというのは、まず生まれにあります。親が人間で無いと言うこと。
 酒呑童子の父は、伊吹の弥三郎といいました。弥三郎は人間の姿をとっていましたが、実は八岐大蛇の血脈でありました。
 さて、弥三郎は娘の婿となり婚礼の日を迎える事ができました。しかし、八岐大蛇の血故か、酒の失敗。正体を現してしまいます。弥三郎、そのまま斬り殺されてしまいました。
 しかし、既に娘の中には子供が息づいていました。生まれた子供は醜い化け物、いいえ、とても美しい赤子であったのです。

 蛇入り婿。娘が見ず知らずの男と愛し合ってしまいますが正体が分からず、後をつけてみると蛇であった。という話は、散見します。通い婚であった頃の時代から残る話と見てもいいのですが、古事記の中に原点と思われる話を見ることができます。
 三輪山の神が美しい娘に元にくるといわれる話です。三輪山の神様というのは、大物主といわれる名で蛇神と言われています。
 話によっては、娘の中に宿ってしまった蛇の子を流すために、五月の菖蒲湯の由来になっている所もありますね。
 


外道の子

 母の胎内で十六ヶ月を過ごしており、産まれながらにして歯と髪が生え揃い、言葉を話し、四歳の頃には十六歳程度の知能と体力を身につけたといいます。
 気性の荒さもさることながら、その異常な才覚により周囲から「鬼っ子」と疎まれていたというさて、蛇と人との間に生まれた子は、外道丸と呼ばれる少年になりましたが、その乱暴さ故に、寺に預けられ稚児となります。し
かし、寺に入っても、酒はくらい、乱暴は納まる事はありませんでした。また、その美しさ故に、多くの男性女性の心をとらえる事になります。しかし、外道丸は、誰にも靡くことはありませんでした。

 そんな彼が鬼になったのはいくつかの理由が伝わっています。 女性達から送られた恋文を燃やし、その煙が恨みと共に包み、鬼と化さした。
 祭礼の時に鬼の面を被り、外れなくなった。
 屍肉を喰い、食べているうちに、生きている人間を襲うようになった。
 預けられた寺の僧が外法に通じており、鬼と化した。
 
 このように色々話があるので、酒呑童子の伝説は各地に残っています。

 そして寺を追い出され放浪の日々が始まるのです。


 ところで深川で妖怪といいますか、怪談絡みのイベントがありまして、出ることになりました。ちなみに話すとかじゃなくて物販です。九十九屋の名前で、トートバッグなどを持って参加する予定です。
 この紙面を読んでいる方がもしいらっしゃいましたら、魔除けのマグネット白澤図を差し上げるので、お声かけいただければと。

イベント
「深川怪談夏の部 お化け縁日」7月15日(日) 13時〜 深川資料館通り商店街3丁目路上(歩行者天国)

 
posted by 九十九屋さんた at 13:06| 千葉 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | コラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年06月24日

てんぐちんに見る古代の幻

 みなさんはてんぐちんさんをご存知でしょうか?
 
 ご存じない方は是非検索用いただいて。
 口頭でもうしますと赤鼻の天狗面を被った女性です。

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 彼女を見ていると何か妙な気持ちになるのは何かと思ったのですが、今日分かったので。

 顔の天狗面は鼻が立派な天狗面で、俗信のレベルでは、鼻の大きい男はあれも大きいといった話があり、男性の性的なシンボルとも言えます。

 身体は女性ですね。彼女のTwitterを見てたいただくと、ときおり半裸の姿を観る事ができます。
https://twitter.com/tenguchin
 その姿は両性具有なので、認識が混乱します。

 数年前、アングラ舞踊を見た際にこの逆のパターン。男性が女性の所作を模したものを見ました。その際は、同じように認識の混乱を覚えました。
 男性でありながら女性、女性でありながら男性、そうした混乱の中で何かが訪れるような錯覚があり、ああこれが昔の人の感じたマレビトなのだと感じました。

 今回のてんぐちんを似たものかと思ったのですが、自分が思い出したのは、天岩戸のことでした。

 天照大神がお隠れになり、岩戸にこもられた際、引っ張り出すために、宴をしたと言う神話。
 その中心となったのが、アメノウズメ。歌舞演芸の女神ですね。
「槽伏(うけふ)せて踏み轟こし、神懸かりして胸乳かきいで裳緒(もひも)を陰(ほと=女陰)に押し垂れき。」 
 彼女は半裸で踊り、喝采を浴び、その騒ぎで気になった天照大神は戸を開けてしまい、そこから引っ張り出されるのです。

 その後、アメノウズメは天孫降臨の際にサルタヒコという神と争う事になるのですが、こちらの神様、現在では赤鼻をした天狗面を被った姿で、祭事に参加する事が多いです。
 そう考えるとてんぐちんはシンボル的にはこの神夫婦の娘といってもいいのかもしれません。


https://twitter.com/tenguchin
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2015年05月09日

711がないのもこうぼうさまのせい

みなさんは弘法大師をご存知ですか?
空海と言う歴史上の方は仏教を改革し、高野山を開山した歴史的な人物であります。しかし、その名前。伝説を巡るものにとってはよく見かける名でもあります。

 たとえば四国に、狐がいないのはこうぼうさまのおかげであるとか。 小さな話だと芋をほしいと言ったところ、断れたので石にしてしまったとか。もう様々な伝承が結びつけられてますね。

 正史というか、実際に公式的なものでも、雨乞い、☆を飲むなどが残っています。

 自分の家の近くにもお大師さまの清水があるという話を聞いていて、探しているのですが見つかりません。
 もう枯れてしまったのかと思って位置だけでも確認しようと本を調べてたそんな窪地とかないのですね。

 ゴールデンウイークのある日、違う神社に用事があって、母校の脇を通り自転車をとばしてますと、こんなところに社があったのかと。学校と接しているので学校にしか見えないのです。そして窪地ではない!
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 すでに薄くなって読めなくなった説明によりますと、すでに自分の生まれる前から水量が減り、また地盤沈下のあった地域なのでそういうこともあって、窪地ではないのですね。

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 そして何よりわき水でなく、井戸でした。

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posted by 九十九屋さんた at 18:53| 千葉 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | コラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年05月03日

富士山に赴く

 ゴールデンウィーク、いかがお過ごしですか?
 自分はやっと今日から始まります。

 しかし。時間もありましたので、普段降りない十条の駅で降りてみることにしました。

 知らない駅についた時は何となく歩き回って神社仏閣を目指すわけです。だいたい緑がふつうより多いですから割合すぐに直りますね。まあ、失敗するときもありまして、個人ておうちや、大きめのお店などにいってしまうことが多いです。変わったところだと古墳などですね。

 そんな気持ちでたどり着いたのが、まずはおびんずるさま。

 次いで富士塚。
 富士塚は江戸時代、富士に参拝する事がはやりましたが、さすがに誰も彼もがいくことができず、富士山から祭神であるこのはなのかぐやひめを分けていただき、山を気づいて富士山に上ったという見立てが
ありました。それが富士塚です。

 こちら十条富士。富士講で、富士に登った記念に。江戸時代といいましたが、明治時代のものも混じっています。
 ともうしますか、今でも信仰が残っており、祭事が行われていました。

 ところで富士山で妖怪と言うと皆さん何か想像するものはありますか?
 富士山は日本一高い山ですが、それは琵琶湖を作る時に、掘った土を使ったからと言います。では、そんな掘ったのは何か?
 大太郎坊、だいだらぼっち、巨人であったといわれています。



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2015年01月01日

羊神社のこと

 あけましておめでとうございます。
羊神社  一番の目的が終わる


 今日紹介するのは、干支にあわせて羊神社です
 全国に何カ所かあり、こちらは名古屋の上飯田駅近くの北区辻町5-26にある羊神社です。地名も火辻村、ヒツジムラ由来だとかでまさに羊。
 名古屋に年末遊びに行く前に東海ウォーカー見てましたら載っていてこれはいかねばと思い至ったわけです。

 現地にいって来歴を見ますと、群馬県多野郡吉井町にある「多胡碑」に刻されている「羊太夫」(多胡郡の領主)が、都に立寄っていた屋敷があり、この土地の人々が平和に暮らせるため「人心を安らかに」という願いをこめて羊太夫が、火の神を祀ったものが羊神社と呼び称えるようになったと伝えられています。現在では天照大神・火之迦具土神の二柱の神が祭られています。

 羊太夫は、多胡羊太夫といいまして、奈良時代天武天皇の頃の人とされます。正式な名前は別にあったようですが、朱鳥九年未年の未の月、未の日、未の刻に生まれたため、「羊太夫」と周辺の人物から呼ばれていました。そして 和銅四年(711)に多胡郡、現在の群馬県の一角の郡司になりました。
 羊太夫は毎日のように、家臣の八束小脛と共に都に日参しました。理由は羊太夫は和銅、ニギアカネを見つけており、それを毎日届けていたのですね、当時平城京の時代になりますので、都は奈良になります。
 ? そう五百キロほどですね。どうしてそのような事ができたのか?
 
 それには家臣の八束小脛の力があったといいます。羊太夫は面白(権田栗毛とも)という名馬を持っていましたが、御しきれるものがおらずにその力を出し切れませんでしたが、小脛が馬を引くと面白は赤兎馬のように千里をかけ、宮古までの往復を可能にしたのです。小脛は神通力を持っていたのです。
 そんな小脛は様々な約束をして羊太夫の部下になっていました。馬を引く以外の仕事を命じない。裸にさせない、身を拘束するようなことをしないなどです。
 その約束を守り家臣としてうまくやっていたのですが、ある日のこと小脛があまりに暑くて上着を抜いたところ、脇の下に翼があり興味を持ち、とってしまったのです。小脛は神通力を失い、羊太夫は都に行くことができなくなりました。
 
 都ではこれを反乱の兆しととらえ、討伐することを決めます。羊太夫は叛意がないことを告げましたが、攻められました。
 様々な策略を持ってあたりましたが数万の大軍に敗れ、自殺して果てるのです。

 ただ、その最後に、金色の蝶と化して逃れたとか。
 これは実のところ羊太夫自身も神通力を持っていたという話のタイプも残っています。
posted by 九十九屋さんた at 22:13| 千葉 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | コラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年09月08日

おびしゃと三本足の烏のこと

おびしゃ 狙うは陰か陽か
一月〜二月にかけて、東葛の各地でおびしゃが行われます。
おびしゃというのは柏市船戸や、船橋の子神社、他にも何箇所かで行われる行事で、流鏑馬が走って馬で射るのにたいして、平地で人間が歩いて射つものをそういいます。もともと歩射祭が変化して、おびしゃになったといわれています。場所によっては鬼射と表記するところもありますが、この辺りでは平仮名表記が多いですね。
ただ、残念な事に現代では弓を射る事は少なくなっているようです。ただ、その前後に行われる行事は昔の形を留めているところが多いですから、もし近所でやられているところがありましたら、見てみてはいかがでしょうか。
  さて射抜く的になっているものを見ると、陰と陽なのです。とはいってもインヤンじゃありませんよ。イメージ的なものです。

  陰は鬼射の言葉通り鬼です。弓で鬼といいますと節分の元になった追儺を思い出しますね。これは大晦日の夜、悪鬼を払い疫病を除く儀式。舎人の鬼に扮装した者を、内裏の四門をめぐって追い回すものです。大舎人長が方相氏の役を務めます。方相氏というのは、黄金四つ目の仮面を被り、玄衣朱裳を着し、手に矛・楯を執った姿で正直化け物っぽいです。何となくこれを見て蚩尤を思いしません。
周の儀礼書に従うとこれは蚩尤の姿に思えるのです。

これを大儺といい、紺の布衣に緋の抹額を着けて大儺に従って駆け回る童子を小儺とよぶそうです。つまりは追いかける大儺小儺ですね。殿上人は桃の弓、葦の矢で鬼をもって追ったといわれています。近世、民間では節分の行事となったといいますから、2月におびしゃが行われるのも関係あるのかもしれません。





  では陽はなんでしょうか。そうカラスです。ただのカラスをではありません。よく見ると足が三本なのです。
  三本足のカラスと聞いて思い出される方も多いと思いますが、日本サッカーの象徴ヤタガラスです。このヤタガラス、八咫烏と書き大きなカラスといったものですが、神武天皇が東征した際に、道を案内した霊鳥と言われており、信仰の対象です。
  しかし、三本足のカラスにはもう一つ由来があります。中国において三本足の烏は、太陽を象徴し、金烏と呼ばれました。ちなみに三本の足は太陽黒点の象徴と言われています。豊作を祈る行事に、豊穣をもたらす太陽の象徴を射抜くとはどういうことなのでしょうか。
  おびしゃが始まったと思われる平安時代日本は亜熱帯気候だったといいます。そんな気候の時、太陽が盛んになるとどんな影響があるでしょう。そう旱魃が増えるのです。
  平安時代は様々な宗教が混濁とした陰陽道が広がった時代でもあります。中国の神話に、太古の時代、太陽がいくつもあり、弓の名神が打ち落として一つにしたという伝承があります。おびしゃもそれに倣って、象徴である金烏を撃つことで、太陽が盛んになるのを防ぎ、豊作を願ったものの後なのではないでしょうか。
 


化けガラス
利根川の流域に化けガラスが出たという話がある。昨日実在の武将が関わる話は、そのカラスを退治たというものだ。この武将のおもしろいところは、自分一人だけで戦わなかった事。
一将功なりて万骨枯るというが、あまりほかのモノの記録というのは残らないものなのだが。

で、その助力したのは、 カッパであるという。カッパと人間が手を組んで、難敵である化けガラスにあたったのです。

さて、ここからが今日のテーマの動物。化けガラスというと、どのような化け物を想像するでありましょう。やはり八咫烏やら金烏やらの類でしょうか。

ところでそのカラスの姿は、頭は猿、胴体は虎で、尾は蛇、で大きな羽をつけている。カラスの要素より鵺じゃないかと驚いたものです。ただこの化けガラス、確かに金烏の類と見えて、起こすのは日照りなのですね。さて、武将とカッパは力を合わせます。武将はカッパから百人力を授かり、弓矢で持って化けガラスを倒すのです。すると足が三本。やはり金烏だったようです。ところで、この烏を撃ち落とすのです。

この武将さん、平家物語に出てきます。華やかな役ではなくて、割合脇役。そのような人だから、きっと地元の伝説も無理に作ったのではなくて、実際何かあった事件を元にしているのかなと思います。
そして「おびしゃ 狙うは陰か陽か」の話にも何かかわっているのかなという気がします。


そういうとき、歴史と伝説が交錯しているような不思議な感じがあります。

九十九屋さんた同人誌「youkai shoot the breeze」より
posted by 九十九屋さんた at 20:17| 千葉 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | コラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年09月03日

御霊について考えたこと・・・多田克己先生の妖怪玉手箱にいって

今日は多田克己先生の妖怪玉手箱というイベントにいってきた。

 御霊と怨霊という話で、知っている話も、知らない話も色々とあって、おもしろかった。

御霊 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%A1%E9%9C%8A%E4%BF%A1%E4%BB%B0

中国から御霊というか、怨霊を祀り、神にする方法が吉備真備によって伝わった。という話があり、はて、中国にそのような神様がいたかしら?
と思ったら、関帝聖君、つまりは三国志の関羽であると思い至った。

関羽が神格化されたのは北宋の時代なので、奈良時代と随分差があるなと思った。
 

 だが、考えてみれば、最初の御霊といえる存在があった。

 蚩尤だ。
 蚩尤は、中国の最初の人間である支配者黄帝と対立した存在であった。
 蚩尤は兵器の創始者とされる軍神であった。黄帝は激戦の後、蚩尤を倒す。しかし、天下は納まらなかった。
 そこで蚩尤の姿を描き、側に置くことで、天下の乱れを防いだとされる。
 
 この兵器の神という記述は、後々にも伝わり、始皇帝や、漢の高祖は、蚩尤の塚で祭りをしたという。

 ところで蚩尤とは神農の子孫であるから、牛の要素を持っている。牛つながりで一周する気がするのだが、どうだろうか。


 自分は前、牛を祀る、殺牛祭神というのは、水神としての要素ばかり考えたんだけど、考え直さないといけない。

手賀沼の主 http://youkai.seesaa.net/article/16316117.html
牛と水神  http://youkai.seesaa.net/article/19411113.html
posted by 九十九屋さんた at 02:25| 千葉 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | コラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年02月18日

魔界と妖界の日本史 妖怪ビブリオバトルで話した草稿




 どうも、九十九屋さんたです。ところで皆さんは妖怪お好きだと思うんですが、いろいろ楽しいですよね。


 そんな楽しみは大きく分けて、点と線があると思うんです。点ていうのは、さっきいったみたいに妖怪のあった場所に行ってみたりとかしてみて回ったり、話を聞いてみたり感じ。

 まったく知らないところで、突発的に探すのもいいですね。とりあえず神社やお寺、そこいらのお稲荷さんにいく感じで。
 最近だと、銀座の画廊に行く途中に、ちょっとしたお稲荷さんがあって寄ってみたら、怪火が発生して、神社を作った所、収まったなんていう感じでした。

 そして、線っていうのは、例えば一つの妖怪について系統だって考えてみたり。鬼とか河童だったり、特定のものの方もいらっしゃると思います。
 自分だと白沢が好きなんで、白沢のことを結構調べているんですが分からなくなるばかり。そういうのはみなさんあると思うんですよ。わいらとか、びろーんとか。氷泉さんなんて、好きな妖怪に関して、絵解きされている本もありますね。


 今回、皆様に紹介したい本は、そういう意味では、線にあたる本になります。
 それも特定の何かというわけではなく、なんとなく全般です。といいますと、ああ、辞典的なものかと思われるかもしれません。そちらに関しても良書はあります。今月、文庫になってよみがえる幻想世界の住人たち4 日本編 多田克己先生の本ですね。


 紹介したい本は、こちら『魔界と妖界の日本史』。

 300ページあまりに100編あまり。正直なところ、枚数の問題もあるので、これは凄いぜとか、正直なところ一つ一つの内容は浅く広くとなっています。
 ただ、一編ごとに最後に、参考文献がしっかり載っているので、深く知りたいという方には索引として使うことができます。実はこういう風になっている本はめったに無いので好感が持てます。

 しかし、この本の真価は目次にあります。
 妖怪の話というのは過去が夢想されている場合が多々あります。例えば江戸時代に末期に出たおとら狐は江戸時代の話ですが、おとら狐がいう見てきた話というのは、安土桃山時代の事です。では、この本はどうなっているか? 戦国時代です。
 そうこの本は実際起きたとされる西暦の順に並べられているのです。なので、この本は目次を見れば、その時代にこんな話あったんだとわかります。
 このように時代という線で読めるのが この本の最大の魅力だと思います。



 実際はてんぱっていたのでもっと悲惨でした。


妖怪ビブリオバトル http://www.ibuliz.com/youkaibibliobattle/

魔界と妖界の日本史 http://www.amazon.co.jp/gp/product/4768469469?ie=UTF8&tag=fanda-22&linkCode=shr&camp=1207&creative=8411&creativeASIN=4768469469&ref_=sr_1_1&qid=1329575540&sr=8-1 2月17日に行われた妖怪ビブリオバトルで選んだこの本。チャンプ本になりました。いい本なんで、皆さんも機会がありましたらどうぞ
posted by 九十九屋さんた at 23:48| 千葉 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | コラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年10月25日

妖怪薀蓄9月まとめ

『「植物」についての妖怪の蘊蓄を1ツイートで呟いてください』です。 天狗の麦飯で作ったお酒はおいしいらしいんで一回飲んでみたいです


『「子供」についての妖怪の蘊蓄を1ツイートで呟いてください』です。 山姥に育てられた金太郎はある種の妖怪のようだ。酒呑童子や、茨木童子と途中までは似ている。ちなみに足柄山は神奈川県です。


『「触覚」についての妖怪の蘊蓄を好きなだけ呟いてください』です
塗壁とか、すねこすりとかは、感触から生み出された妖怪といえる。前者は前方にある見えない何かによって行けない。すねこすりは足元に何かがいる足をとられる感触からできた。と考えていくと、意外と五感全てで記録されている妖怪って少ないような。
五感全てを思い出せるのは、人魂、人魚、河童くらいか。実際会ってないですよw 文献上ね。自分が机上派で衒うのが好きなんで そう思うと、欠けた分の想像からできているのも確かに多いよな。 


『「エロ」についての妖怪の蘊蓄を1ツイートで呟いてください』です。
山の神は、田の神になって里におりる。田を耕すのは豊穣をもたらす性交。桜は田植えの象徴になる。山の中にあって男に避けられる磐長姫で、人の側で愛される木花之佐久夜。この二人は、山の神と田の神が神話に取り入れられたような気がする。


『「天候」についての妖怪の蘊蓄を好きなだけ呟いてください』です
 昔、野柳亀という妖怪がおりまいた。嵐を起こしたり、船を転覆させたり、それは悪さをしたといいます。天帝は天女に妖怪退治を命じました。天女は宝剣を持ち象に乗り、外界におりてきました。天女は、亀に向って叫びました。「死ねこの亀野郎」
こうして亀の妖怪は天女にぼこられました。それ以来、天候が悪いと、野柳岬から白い煙が吹き出し、地元の人達は天気を占ったそうです。 以上、台湾の民話より一分脚色してお送りしました。ちなみにグーグルマップで野柳岬といれて見てみるとわかりやすいかと。


『「睡眠」についての妖怪の蘊蓄を好きなだけ呟いてください タグもよろしく』です。 宝船の旗の部分に獏って書いておくと、初夢の成功率があがるそうです



『「家」についての妖怪の蘊蓄を好きなだけ呟いてください』です。 迷い家の主は謎だが、礼儀だけ守っていれば、こちらの望むものをちゃんとかしてくれる。民話によって、迷い家の主は山姥である場合もある。山姥の正体は、山の中に住んでいた木地師であったといわれる事もあるから、そう考えると椀をかしてくれるのは納得できる。彼らは材料の木を求めて、20年程で移動したというから、かつていて今はいないので、伝説になりやすい。
迷い家も、辿りつけないのも、椀が二度と課されなかったのも、そもそも移動していたといえば納得がいく。記憶している側からすると旅など一生に一度か二度いけるだけだったろうから、移動するという事自体、人外なのかもしれない。



『「絵」についての妖怪の蘊蓄を好きなだけ呟いてください タグもよろしく』です。 今日、絵のない状態で妖怪の説明する時にとある本のようになってました とある本が気になる人は怪作戦で検索



『「自由(好きな事柄)」についての妖怪の蘊蓄を2ツイートで呟いてください タグもよろしく』です。
火鼠の革衣とサラマンダーの繭。共に石綿が元ネタになっているそうな。
羊がなる木があるっていうのは、綿が広まっていなかった時に、文章だけが伝わったものらしい。実体あるものも、未知という膜に包まれて、色々となっていくのが、正体が分からない非日常である妖怪そのものなのではないかと思う。



『「天候」についての妖怪の蘊蓄を好きなだけ呟いてください タグもよろしく』です。  一目散という言葉は一目連という妖怪に関連しているという話もある。どんな存在かというと嵐を巻き起こす竜だという。それが出た時に逃げる様子からきたとか。



『「山」についての妖怪の蘊蓄を好きなだけ呟いてください』です。 山海経って本がある。逆宇宙の指南書であったり、SAN値のチェックが必要な本だけど、今の感覚では図鑑っぽい。
ただ山岳信仰の中で作られているので、今見ると中にいるのは結構妖怪っぽい。実際妖怪として日本で紹介されているものもいる。山海経には初めて、日本をさすとされる倭も出てくる。



『「川」についての妖怪の蘊蓄を今すぐ呟いてください』です。 冬の間は深い山奥で山童として暮らすが、春の彼岸の頃に川に戻ってきて河童になる
 零落した神様的だよというのはさておき、河童が春になると山の方からぷかぷか浮いてくるところを想像すると非常に和む。http://t.co/FLF4nhiS  こういう感じなのが
この伝承は更に変化したみたいで、つい帰るタイミングを逃して、人に優しくされた河童が、山童になって恩返しをしてくれるっていう話が、東北にあります。



『「縁起」についての妖怪の蘊蓄を好きなだけ呟いてください』です。
今は昔の事。あるところにたくさんの蓮の花のさく美しい池がありました。その美しさに惹かれたものは多く、ある娘もそうでした。蓮の花も美しいですが、その娘の美しさは、まさにこの世のものではないようでした。ある時、それを聞きつけた武士が蓮池にやってまいりました。
 娘は武士に気づくと衣を纏い、逃れようとします。男の足に逃れるすべはないと思われた時、娘の足は宙を蹴っていました。そう衣は天を舞う羽衣であり、娘は天女だったのです。そうした事が続き、武士はこっそり娘の羽衣を隠す事にします。
 娘は羽衣を返してくれるように頼みますが、武士は返すことはありませんでした。娘は妻となり、母となり、子をなしました。その頃には武士の真心が通じたのか、天に帰る気は無くなっていた様子です。いつしかこの話は都に伝わり、武士は都に呼ばれます。帝にその事を奏しました。
 そして二人が出会った数えきれぬ蓮にあやかり、千葉という姓を賜ります。これが後に千葉氏となり、千葉県のあまりしられてない縁起なのです。ちなみにこれには幾つかバージョンがあって、武士は平将門だったり、娘はやっぱり天に帰ってしまったりします。 妖怪じゃないと思った方が天女を、天降女とか、姑獲鳥とか、夜行遊女とか、天帝少女に置き換えると吉。自分的には白鳥の湖を思い出します。



『「服」についての妖怪の蘊蓄を4ツイートで呟いてください タグもよろしく』です。幽霊や妖怪を見るための方法を御存知だろうか。所謂見鬼といわれる魔術だ。幾つか方法があるが、簡単なものを紹介しよう。


ただ線香が燃え尽きるほどの長さを超えると帰って来れなくなるので注意だ。もっともどの方法もあまりおすすめはしません。死人は生者に戻りたいと思っているので精気を抜かれますよ。くれぐれもしないように。今回は服装と服用など色々ごちゃってますがご勘弁を。  
一つ目は家の中で傘をさす。陰の気が集まって鬼が見えるとか。
二つめは深夜十二時に髪を梳かす。
三つめは墓地の土を目に塗る。
四つ目は死人の目を開く。その瞳には死者が映っている。
五つめは妊婦を飛び越えるとその刹那見える。
六つめはカラスの目玉を灰にして酒に溶かして飲む。
 七つめは股のぞきをする。九つめは夜中に黒猫を追いかける。気づくと追っているもの 八つめは葬礼のための衣服を身につけ、死人の振りをして、葬儀をする。すると冥土の使者が間違えて連れに来るので見えるという。



『「女」についての妖怪の蘊蓄を本当に言っていいかよく考えて』です。
 百々目鬼と百目鬼がよくごっちゃになります
『今昔画図続百鬼』で鳥山石燕が描いたのが百々目鬼。これは盗みを働いたものの手に、びっしりと目がついてしまうもの。俵藤太に退治される百目の鬼が百目鬼。 現代に来てヒロインになって活躍するのが百目姫捕物絵巻



『「人物」についての妖怪の蘊蓄を好きなだけ呟いてください タグもよろしく』です。 http://t.co/4JdKWbu
 妖怪人間ベムってあるじゃないですか、彼らって同じ液体から同時に生まれたから年は一緒だけど、どうみても年齢差があるよね。
あの世界のどこの国でもない感じは、作ったのが日本のアニメ会社だけではなくて、韓国のテレビ局も関わっているからなのです。今年は実写化されるらしいし、其れもまた楽しみ。
 妖怪人間の年齢が実は同じって考えると、ベラもちょっとだけ年上ぶっているという、お前は大人ぶりたいティーンかという萌を抱くことができます。
 ちなみにベラさまはこちら 杏、メーテルのコスプレ披露 ニュース-ORICON STYLE- http://t.co/PQJ6MsR



『「食」についての妖怪の蘊蓄を好きなだけ呟いてください』です。 http://t.co/4JdKWbu 月食や日食もまた神秘的な存在が関わるとされた。例えば、インドでは不死の霊薬アムリタを飲んだ阿修羅である計都羅喉の仕業


『「絵」についての妖怪の蘊蓄を3ツイートで呟いてください タグもよろしく』です。  名前のない妖怪は意外といるというのを最近になってしった。
 面倒くさいんできっと名前とかつけているものだと思っていたのだ。言われて見れば本によって同じ絵なのに違う妖怪の時もあるんだけども。氷泉さんの所でチラチラ見る赤い丸い妖怪。自分はずっと金魚の妖怪だと思っていた。百鬼夜行絵巻にも出てるんだけどすっかりスルーしていた 
 そして最近、氷泉さんのところで出した本ではたと納得したわけです。http://t.co/vS6m5fS こちらのサイトでもみられるんだけど本はいい感じの豆本なんで機会があったら手にとってほしいな。



『「動物」についての妖怪の蘊蓄を好きなだけ呟いてください』です。
「四霊」というものがいる。 応竜(翼を持った竜) 霊亀 (長生して山を背負う程大きな亀) 麒麟 鳳凰
 鱗蟲の長である応竜 介蟲の長である霊亀 毛蟲の長である麒麟 羽蟲の長である鳳凰 
 蟲いうても、昆虫っていう意味ではなく、もともと生き物全体を指す言葉だったのですよ削さん。(やや私信)というこでお、鱗があるのは蛇とか魚とか、介は甲羅を持っているもの、毛はだいたいの哺乳類とか毛のあるもの 羽は鳥っていう感じ
 んでだ 蟲→虫 という感じで、言葉の意味が元来のものと変わってしまうよね。例えば本当なら鳥類をイメージするはずが、羽虫の類になってしまう。こういう感じで意味や情報のエラーが起こることで、想像力や独創性とは違うところで、妖怪やモンスターの類が生まれていく事がある。
 例えば和尚魚という妖怪がいるんだが、『大洋にいる海坊主はすっぽんの体に人頭で髪が無く、大きなもので5,6尺ある。これを見ると不漁になる。捕らえて殺そうとすると涙を流して助けを乞うように見える。中国では和尚魚という。』
 中国で和尚魚というのはすっぽんではなくイルカの事。そう考えると『涙を流して・・・』は、イルカが泣くのは知られている話ですので頷くものがあります。つるつるしたイルカの皮膚の感じも、坊主の頭のようなイメージも一致するわけ。
 自分は、机上派で、衒っての文字遊びなんだけども、実際動物を知っている人が見るとぜんぜん違う世界らしい。幻妖商会 http://t.co/hUqJ4DBさんで製作されているものを見ると、ああって感じるものが多いです。
 まあ妖怪の中に実際にいる生き物でどれがはてはまるか考えるのも面白いよという話でした。



『「エロ」についての妖怪の蘊蓄を今すぐ呟いてください』です。
 ついにアカエイの秘密を語る日がきたようだ。アカエイは異称の一つに傾城魚という名がある。それは姿を思い浮かべてもらえればわかるんだけど、口のあたりが女性器のようでしょ。それで傾城魚がついたというわけ。
 ちなみにエイの女性的な面がイメージされて、エイ女房という話もある。漁師がエイをすくい上げると、恋い慕うような目で見てくる。それで思わずほだされてしまい行為に及ぶ。その後数年して漁をしていると「お父さん」と声をかけられる。
 海中にいくと竜宮城があって、エイが待っている。しばらくの間楽しくくらすが地上の生活が恋しくなり、戻るという男にエイは竜宮の壺といういえば願いがかなうというつぼを渡す。実は男は地上ですでに結婚していたが海底での出来事を話さなかった。
 男は戻った後壺を使って食料を得た。女房は食わず亭主のことを怪しく思い、あとをつけると壺を見つけたしかくしてしまい、今でもそれが見つかっていないという。
 まあ民話なのでオチらしいものはないですがこんな感じです。これは南方の話ですから女性イメージは不変なのかも。
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2011年07月26日

幽霊と返魂香

 円山応挙は一夜の宿を新河岸の南、行徳の地に求めた。行徳には何件かの宿があり、泊まった宿を信楽という。深夜、起き上がった応挙は、外に出るとそこには女の幽霊がいた。幽霊は応挙を残し、闇の中に消えていった。
 朝になって、その事を信楽の者に告げると、病の家人が、客に迷惑をかけぬように、夜中に起き上がったという。

 この一件を元に、絵を描きあげたのが、市川の徳願寺にある幽霊画とされています。この絵はとある華族の元にあったのですが、その後何件かの商人の手を経て、徳願寺に伝わりました。その間に、様々な不幸があったといいます。

 さて、円山応挙が、足のない幽霊を描いたのが、幽霊画の転換になったといいます。その後、幽霊の絵といえば足のないものとなりました。応挙は、写生を良くし、写実的な絵を描いた人として知られています。 
 応挙の画で有名な幽霊図といいますと、お雪の幻という作品です。これは応挙が亡くなった妻の姿を元に描いたものとされます。妻の姿は、障子の向こう側に立ったものとされます。ちなみに亡くなった後に思い出して描いたものです。応挙の絵には、『龍門鯉魚図』という鯉が滝を登る絵があります。しかし、その絵には水は描かれていません。しかし、描かれない事で、滝を登る鯉の姿を描いています。同じように、幽霊もまた、一部を描かない事で、この世の者でないのを示そうとしたのではないでしょうか。どうして足がないとこの世のものではないか?

 
 それは返魂香によるものです。
 北方に佳人有り、世に絶えて際だち、一たび顧りみれば城を危うくし、再び見れば国を危うくす。
 中国の武帝に愛された李夫人の事です。実際、李夫人は、容姿優れ、賢い人でしたが、妲己のように国を傾ける事はありませんでした。
 李夫人は美しく歌舞にも長じ、武帝との間に子供をもうけました。寵愛を受けながら、李夫人は増長することはありませんでした。その為武帝はますます彼女を好みました。しかし、李夫人は病に倒れ、そのまま亡くなってしまいます。
 武帝は李夫人が亡くなった後、壁に彼女の絵を飾らせ、偲びましたが、どんなに素晴らしくても絵です。
 そんな時、一人の術士が死者を呼べると聞きます。術士は武帝の言葉を聞き入れ、深夜玉の釜で作り上げた精錬した返魂香、金の香炉で炊き始めます。
 香りに呼ばれ、煙の中、確かに見えるのは李夫人の姿です。その姿にたまらず声をかけます。しかし、その瞬間、李夫人の姿はかき消えたのです。
 返魂香は武帝の悲しみを深くしただけでした。


 この煙の中、姿を現す李夫人の姿。その絵は多く描かれており、その足下を煙で隠しているのが、描写として定着しています。煙の中に現れる李夫人は幽霊といえます。足のない幽霊のモチーフになったといえます。ちなみに返魂香は、病を持つものなら直ぐに癒え、死者も三日目までなら蘇り、死者もその煙の中に姿を見せるとされる霊香と言われます。



徳願寺
http://www.city.ichikawa.lg.jp/gyo01/1111000108.html
posted by 九十九屋さんた at 12:45| 千葉 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | コラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年07月22日

妖怪ネタツイッター

妖怪の話題を強制的にはき出させていく恐怖の遊び

恐怖の妖怪蘊蓄ったー?
http://shindanmaker.com/127359
出た題にそって妖怪の蘊蓄をって事になってる。でも、蘊蓄じゃなくても、楽しんで妖怪の事を語ってもいいかなって思うんだ。故に?をつけておくのです。(はじまりは『しげおか秀満のオバケラジオ』参照)発言には#youkaiunつけて貰えると嬉しいな
(#youkaiun)


AKB48選挙を見てたら、OBK48の順位というのが流れてきて、作りました。ちなみにこれまたしげおかさん発です。

OBK48ったー
http://shindanmaker.com/128639
ねずみ男が妖怪女子で一儲けしようと企んだようです。投票は庚申の日に三尸に頼んでね
(#OBK48S)

妖怪好きに質問ったー http://shindanmaker.com/130247
かつて作った妖怪好きに100の質問に問題を加えて再構成したもの。妖怪蘊蓄ったーより気軽に答えることができます。
posted by 九十九屋さんた at 20:57| 千葉 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | コラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月30日

忌むべき夜 猫の王さま

 今日はワルブルギスの夜です。ドイツでいうところの魔女の夜なのです。ドイツのブロッケン山に魔女が集まって集会をする。ブロッケン山といえば、ブロッケン現象で(光が背後からさしこみ、影の側にある雲粒や霧粒によって光が散乱され、巨大な影を作る)おなじみの山です。二本でいう恐山とかそういう感じでいたんですが、実際はなだらかな山で電車や、マウンテンバイクで頂上までいけるそうです。

 さて、そんな魔女の夜。出歩いているあなた、暗がりの中、道に迷ってしまいます。歩けど、歩けど一本道。前の方から聞こえてくるのは鳴き声。悲しげにすすり泣く声は聞いていると胸が張り裂けそうになります。しかしながら、道は一本。葬列の横を抜けなくてはなりません。
 意を決してあなたは歩き出します。しかし、不思議と葬列は小さいままです。思ったより遠いのかと思うと側まで来ました。いいえ、葬列に並ぶもの達が小さいのにあなたは気づきます。
「王さまが亡くなられた」
「なんてことだ」
「いったいどうして」
 小さな人々の嘆きをはき出す口には髭がまっすぐ生えています。あ、猫だ。そうあなたは気づきます。
 しかし、騒ぐことなくあなたは静かに静かに葬列の横を抜け歩いて行きます。
 どれだけ歩いたでしょう。あなたは見慣れた道を歩いています。
 振り返ってもそこにはあの葬列の姿はありません。
 家に帰ったあなたは、その事を家人に話します。
「昨日猫の王さまの葬列にあったよ」
 途端にあなたの家の猫は起き上がります。
「次の王さまは僕だ」
 そしてあなたはその猫に逢う事はありませんでした。

 猫の妖精、ケット・シーにまつわる話です。彼らはどうも王がいるらしいのです。その交代はこのように人間の口からの伝聞となります。今回はこのように亡くなられたからこそですが、不祥もなく、王権が移行するのは、今日なのです。
 家人が不意に帰ってきて、猫の話を始めたら、ちょっと黙らせましょう。もしかしたら、あなたの家の猫ちゃんが王様として招聘されたのかもしれませんから。
posted by 九十九屋さんた at 20:18| 千葉 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | コラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月29日

第三の猫

910 :本当にあった怖い名無し:2011/04/04(月) 11:13:19.20 ID:T7oGmmbo0

震災での被害はほとんどなかったものの、津波で水をかぶった地域。

地震発生後、町内で一番高いところにある神社に避難していく途中、
見慣れない女の子が、前から町内をうろついていた猫を数匹抱えて走るのを
複数の人が目撃している。

小学校低学年くらいの女の子で、黒か紺のジャージの上下着用。
ほとんどの目撃者は走って追い越されたそうだ。



当時は不思議に思わなかったが、死に物狂いで走る壮年の男性などを、
腕いっぱいに動物を抱えた小学校低学年の女の子が追い抜けるものだろうか?
しかも、うちの町内は南と西が海に面しており、北は山で、
東は車で30分ほど行くと隣町というどんづまりの田舎町なもので、
基本的に「知らない子供」がいることがまずない。

町内で直接の死人は出なかったが、海に近い通りなどは軒並み半壊。
しかし、浜の近くに住んでいた野良猫の多くは無事だった模様。

あの女の子は神社の神様かな?
それともその手前にまつってあるお地蔵さんかな?
と、地元で今一番ホットな話題として語られている。



911 :本当にあった怖い名無し:2011/04/04(月) 12:33:18.32 ID:EkX2ZJAgO

女の子に姿を変えた神の遣いだね。未曾有の災害時は
どさくさに紛れて、妖怪やら、神の遣いやらがすぐそ
ばまで降りてきそうだな。



 極限状態にある人間が、その状態から脱出するのに導いてくれる何かに遭遇する。それは人であったり、声であったり、また気配だけだったりする。先導され励まされたのに実在を示すのは記憶のみ。そういう現象をサードマン現象という。
 今回も目撃した人のうち話した人が多いのではなく、見た人が助かった人と考えると、その一種なのかと思った。

 好きな話だと絵描きの氷泉さんに話して、絵が見たいなとだだをこねたら描いてくださった。

 
猫僮女
http://www10.plala.or.jp/cotton-candy/momomi2/maki-2549.htm

 この猫の娘以外にも素敵な絵がたくさんあるので、見るのが吉。
クロヌシカガミ http://www10.plala.or.jp/cotton-candy/
posted by 九十九屋さんた at 09:37| 千葉 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | コラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年03月13日

鯰絵大作戦(注意事項追記)(英語版も追記)

 江戸時代、ナマズを題材に描かれた錦絵が多数描かれました。それは大地震は地下のなまずが起こすという言い伝えからです。
 
 詳しくは消防防災博物館の
『見て学ぶ鯰絵 http://www.bousaihaku.com/cgi-bin/hp/index.cgi?ac1=R529&ac2=&ac3=3482&Page=hpd_view』を参照にしていただけたらと想います。

 今回の宮城・茨城沖地震で、多くの漫画家や絵描きさんが、元気が出るイラストを描いてくれました。その中で、漫画家のしげおか秀満先生がこのような発案を。

【拡散希望】「鯰絵」は江戸時代に出版された地震の元凶である「大鯰」を懲らしめる図を描いた錦絵(タケミカヅチノミコトが要石で封じているところなど)絵師の皆さん!地震の終息(収束)、被災者の無事を願って「鯰絵」を描きませんか?形式は問いません。#namazueでよろしくお願いします。

【鯰絵大作戦お願い】@画像付きツイートをRTしないでください。被災者の方のTLを圧迫して重要な情報が観れなくなる可能性があります。閲覧は#namazue←のハッシュタグよりお願いしますA自動で画像表示される携帯の電気消耗の原因になるので画像はなるべく短縮URLでお願いします。


【世界に向けて拡散「鯰絵大作戦」要旨英文】Many Japanese artists drew Namazu-e(鯰絵) to encourage earthquake sufferers. … http://tl.gd/99jb4h

 翻訳してくださった方ありがとうございます。

 http://twitter.com/#!/search?q=#namazue を開いていただければ様々な鯰絵が。

 皆様もいかがでしょうか。


しげおか秀満の妖怪大図鑑 鬼夜楽多帳 http://shigege.blog89.fc2.com/ しげおか秀満先生のサイト

 
私家版・「鯰絵大作戦」 http://togetter.com/li/111448

私家版・「鯰絵大作戦」 http://matome.naver.jp/odai/2130018069249212101
semimaruPさんによるまとめページ。どうもありがとうございます。
posted by 九十九屋さんた at 15:41| 千葉 | Comment(0) | TrackBack(0) | コラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月06日

天に七星 地に七草

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SS 鬼の焼き餅
―――――――――――――――――――――――
 少年は戦いの終わりを感じていた。
 初めて来たときは、決して自分などでは対抗できぬと
思われた牙城。巣くうのは人間などでは決して対抗できぬと
思われた多くの鬼。
 今では鬼は倒れ、鬼ヶ島の所々から火があがっている。
 あれほどの強大な敵を倒せたのは自分だけでなく、
三体の従者によるものだ。彼らは陸海空を制し、その力が
なければ自分は勝つことはできなかっただろう。
 彼らにせめてもの礼と思い少年は七草粥を作り始めていた。
 彼らは羽ばたき、地を駆け、木々の間を跳ね戻ってくる。
「お腹がすいてしまいました」
「もう腹ぺこで動けない」
「背中と腹がくっつく」
 三者三様の言い方だったが、示している事は一緒でした。
「黍団子をください」
「もう黍団子はないのだ」
 三体の従者の顔色が変わります。彼らは一皮むけば獣なのです。
その獣と変わった彼らをとめるのには食べ物が必要でした。
「コメがあるから今粥を作るから」
「粥なんてくえるかキー」
 先程まで人めいていた言葉もどこかおかしくなってきた
気がします。 
「餅を見つけたぞ」
 従者の一人が餅を見つけてもってきました。
「堅い餅なんてとんでもない。俺は柔らかいのがいいんだキー」
 その辺りの火にくべて、従者たちは餅を食べ始めました。
「こうすれば直ぐに柔らかくなるから」
 三体の従者は焼き餅を奪いようにして食べました。
「く、苦しい」
 食べ過ぎたのか従者たちはうめき始めます。そう鬼の火は恨みで
燃えていて、その火を帯びた餅は邪気をはらんでいたのです。
「助けてくれ」
 少年はあわてて粥を飲ませます。
 すると従者たちは静かになりました。
「どうしたんですか」
「七草粥には邪気を払う力があるのだ」
 その話は後に広まり、七草粥を食べるようになったそうです。

 


 あけましておめでとうございます。
 お正月はいかがだったでしょうか?
 おせちやお雑煮はいただきましたか。食べすぎたりしてはいませんか。そんな時は、七草粥を食べるのはいかがでしょう。

 七草粥といいますが、なぜ七草を刻んで食すかというと、これは中国で生まれた発想なのです。
 人間には三魂七魄(3つの陽に属するたましいと、7つの陰に属するたましい)があり、天では七星(曜)として現れて、地では七草となります。その七草を食べれば、その年は四季の病に犯されないというのです。
 もともと七草でなく、七穀だったといわれていますが、廃れてしまい七草になったといいます。廃れたと言えば七草も七穀の伝承も、現在、中国ではなくなってしまったそうです。
 日本の伝説では、昔鬼ヶ島で鬼を退治した(はっきり伝わっていませんがおそらく桃太郎ではないかと)ものが、鬼の骨を焼いた火で餅を焼き食べたところ、鬼の恨みの火のせいか、咽につまり他界しかけました。その時に、七草粥を食べて、餅を流して助かったからといいます。七草に浄化の作用があると思われていたのでしょう。
実際、七草粥は冬場の青物の少ない時期に野菜を食べ、また不足しがちな栄養を補給できるので、体にいいことがわかっています。

 そんな七草粥を作る時に、七草を刻みながら歌うのをご存じでしょうか。その歌詞はいろいろですが、東葛地域にはこんな歌が伝わっています。

七草の なずな 
唐土の鳥が
はんどの鳥と
西方の鳥の 
渡らぬ先に
トトンガ トン


 ちょっと不思議な歌だと思われませんか?
 (これは地元ので地域によっていろいろです)


 さて、歌詞の意味ですが、ここで語られる鳥は唐土(とうど)をはじめ、日本にいない鳥だと思ってもらえればいいでしょう。鳥というのは、風に乗り、運ぶものという象徴を持っています。そのためいつの間にか訪れる疫病を象徴しているともいわれます。その鳥を七種の菜をうつ音で追い払う、またはこないようにしてしまおうという意味です。具体的に正月7日には唐国の鳥である鬼車鳥(きしゃちょう)が多く出て、家々の戸をたたく話もありますから、対策は万全にということでしょうか。
 
 鬼車鳥とは、五嶺の外れにいるという、アヒルに似た鳥です。ただし、色は赤くて、九つの首を持つといわれています。春夏の間は、薄暗いうちに、鳴きながら飛びます。もともと頭は10あったのですが、そのうちの一つを犬に噛まれて失っていて、傷口から血を流し続けています。こっそり人家に入り、人のたましいを食べるというのです。また、この血をたらされた家は不幸になるといいます。
 車というのと、輪というのが自分の中で連想されたので、なんとなく円盤系の飛行物体をちょっと想像してしましまいました。
 日本では、この血は毒といわれ、子供の乾いた着物にかけていくといいます。知らずに着ると疳の病をわずらうといいました。
 正月七日だけしかこないなら、これといって心配のないと思われるかもしれませんが、夜切ったつめを外に食べにくるという話もあるので注意したほうがいいかもしれません。

 実際この得体の知れない鳥はフクロウではないかといわれています。フクロウは昼は眠っており、晩になると飛び立ち、ネズミやウサギといった獲物をとります。その様が古人にとって不思議だったのでしょう。

 ところがこの鬼車鳥は、姑獲鳥というまったく別の妖怪だという話も江戸時代に言われるようになりました。


 姑獲鳥(こかくちょう)は、夜に飛びまわるとされ、鳥の姿をしていますが、羽毛を脱ぐと女の姿になるといわれました。夜行遊女とも、天帝少女とも呼ばれたといいます。白鳥の湖のオデット姫を思い出す美しい幻想ですね。
 しかし、正体は死んだ産婦の霊とされました。そのため、人間の子を攫い、育てます。その時の目印が、子供の衣服につける血とされました。この辺りから鬼車鳥との混同がされていったのかもしれません。
 姑獲鳥という文字は、京極夏彦さんの小説『姑獲鳥の夏』で、有名になったと思います。この物語では姑獲鳥と書いてうぶめと読んでいます。

 うぶめは産女と書きます。子供を持ったまま亡くなった霊がうぶめになるといいました。雨の降る夜に燐火を伴った鳥か、足元が血でぬれた女の姿をとります。また、人に会ったら子供を預けます。子供はだんだんと重くなりますが、持って耐え切ると、石塔や木の葉、岩へと姿を変えます。
 そんなうぶめが安産の神様になる場合もあります。室町時代、鎌倉の大巧寺の日棟上人が滑川の橋を渡ると子供を抱いた女がいました。女は告げます。「川の水が血で汚れて渡れません。それにややが乳を吸い苦しいのです」。上人が経をあげると女は姿を消しました。数日後、見違えるように美しくなった女が現れ、塔を建ててお産に苦しむ人を救ってほしいと言ってお金を手渡しました。上人は女を産女霊神(おんめさま、おんめ様)として寺に祭りました。

 子供を人に渡したり、経を上げてもらうのも、一人で抱えきれない命の重さを、数人で分かちあえば支えられるという象徴なのかもしれません。
posted by 九十九屋さんた at 16:34| 千葉 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | コラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月10日

雪に思う

 『武蔵の国のある村に茂作、巳之吉と云う二人の木こりがいた。』

 小泉八雲の雪女の冒頭。
 この武蔵が都内であるのに気付いたのは確か中学の頃だったか。かなり驚いたのを覚えている。都内で雪っていうのに違和感が。

 新宿より向こう、実際のところ、雪って意外と多いというか、寒いんですね。なんとなく天気予報だと同じ区域っぽいので錯覚してました。最近雪が降った時に皆さんのお話を見ていると千葉は雨だが、多摩方面は雪という状況によく当たります。

 小泉八雲以外に子供の頃に聞いた雪女の話で印象深いのがもう一つ。

 雪女は美しい自分の姿を誇って、山姥をバカにしました。
 山姥というのは山の女神様ですので力も強く、雪女に呪いをかけました。
 それは心にも雪の冷たさを持って、誰も愛する事をできなくなる呪いなのです。しかし、色のついた雪が降ればその呪いは溶け、また他者を愛する事ができます。
 そしてある年の事、色のついた雪が降り、雪女は人間と恋に落ち、子供の生みます。しかし、呪いが解けたのも一時的で、愛する心を雪女は失うのです。そうなった雪女は、好きだった人間を投げ捨ててまた雪の中に消えていくのです。
 ただ、また色のついた雪が降れば雪女は心に温もりを取り戻します。
 その時、自分がうち捨てた愛する存在の記憶がもたらす苦痛。愛する心を失うよりも、取り戻す方が、いつしか呪いのように思われていくのです


 もっとセクシャルな話だった気もするんですが、自分の記憶にはこのように書き換えられてます。

しかし、ここ最近の中国の話を思い出すとどんな色の雪が降ってもおかしくないような気がします。


ロシアの黄色い雪
http://10e.org/mt2/archives/200903/260247.php


雪女(小泉八雲)
http://www.aozora.gr.jp/cards/000258/files/50326_35772.html

雪女妖怪進化論
http://www.top.ne.jp/aliceweb/yukionna/sinka/
posted by 九十九屋さんた at 20:38| 千葉 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | コラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月07日

一つ目 籠の目

 ある男が、用事があって、とある武家屋敷に赴きました。部屋に通されて待っていると、十歳ほどの小僧が姿を見せます。客人がいるというのに、床の間の掛け軸を、巻き上げたり下ろしたりして遊び始めました。しばらくの間は放っておきましたが、どう見ても巻物は傷んでいくのが分かります。いい加減我慢しきれなくなり、声をかけました。すると小僧は「黙っていよ」と振り返りました。その顔には目が一つしかありませんでした。男はそのまま腰が抜けて、倒れてしまいました。その後に屋敷の者の話を聞くと、そのような怪異が年に四・五回はあるが、特に悪さはしないとのことでした。その後、男は二十日ほど寝込んでいましたが、命を失うようなことはなかったそうです。

 前にかぶきり小僧についてのお話しました。これで皆さんもかぶきり小僧について知っていただけなら幸いです。
 ところで小僧の妖怪が何となく多いというのは感じられていると思います。最近では京極夏彦さんが小説の主役にもしました豆腐小僧などがあります。しかし、小僧の妖怪でメジャーなものと言えば、何より一つ目小僧ではないでしょうか。
 一つ目小僧といえば、黒い袴に白い上着に下駄。そんなお寺の小坊主の目が一つ、この姿はあくまで自分のイメージですが、割合誰にでも近い姿を想像できるのではないかと。今まで、ここで妖怪を紹介してきましたが、ここまで想像がたやすいのは、のっぺらぼうか、雪女くらいのものではないでしょうか。

 しかし、そのような親しみやすい一つ目小僧には実は大きな秘密が隠されているのです。
 季節の変わり目、体調とか崩しやすいことはありませんか?
 そうした事を神さまの仕業と考える風習もありました。そうした災難を持ち込む神さまを厄神と呼ばれたのです。『この疫病神が』と良く聞きますが、それが所謂厄神のイメージです。
 そんな厄神も、ただ闇雲に禍を振りまくのではありません。実は事前に、手下を放ち、またいろいろなところで依頼して、人々の行動を見ているのです。
 その使いは誰かというと、そう一つ目小僧なのです。
 一つ目小僧は、家を外からうかがい、帳面(人別帳)に記録をとります。そして判子を押したり、フタを張ったりして目印をつけます。ところが人々の数が多く、一つ目小僧は帳面を持ちきれません。そこで地元の神様(道祖神や境の神、産土神さま)のところに預けておきます。
 さて困ったのは地元の神様です。彼らは、氏子の事を、この世にいる間、見守る存在です。みすみす見逃すわけはありません。しかし、神様同士の付き合いもあります。そこでこういうのです。
「間違って焼いてしまった」
 一つ目小僧はそれを聞いて、ではしょうがないと、厄神のところに戻っていくのです。
 どう考えても毎年の事なので、一つ目小僧の方でも何となく察してはいるが見逃しているような気がしてなりません。
 しかし、それではまさに対応が神頼み。人の側にも対抗する手段があります。

 幼稚園の頃。夕方、帰ってくると、ザルが屋外に置き去りにしてあって、家に持って入りました。その事を告げると、祖母は笑顔で、受け取ったザルを再び外に置きました。理由を尋ねても教えてはくれませんでした。
 ザル、そしてよく勝手口に飾ってあった柊。この二つが実は、一つ目小僧除けてあったのを知ったのは、祖母が亡くなって十年以上たってからでした。

 一つ目小僧は家の中を覗いて、記録をとったり、印をつけるといいました。家の中さえ覗かなければ大丈夫なのです。そこで鰯を枳の枝に刺したり、柊や榊を飾りました。これは覗こうという時に目を刺して、覗けないようにする為です。続いて籠やザル。これは籠やザルを見ると、つい目を数えはじめてしまい、時間切れになってしまうそうです。

 最後に厄神そのものとしての一つ目小僧のお話を。
 魔日というのがあります。行動すると災厄にあってしまうと言われる日。そんな魔日、山では仕事を休んで山を降りなければなりません。一人の男は山を下りようとしませんでした。一度降りれば山の仕事場に戻るのに時間がかかり、もったいないと思ったのです。夜、眠っていると、物音がしました。塩気のあるものを求めて熊でも来たかと男は、素早く起き上がります。そこにいるのは一つ目小僧でした。
「今夜の酒のさかなは何だあ」
 一つ目小僧がそういうと、男は腹に力を込めて怒鳴り返します。
「お前のまなこ玉だあ」
 驚いた一つ目小僧は逃げ出しました。
 男は夜が明けるのを待って、山を下りました。しかし、直ぐに死んでしまいました。
posted by 九十九屋さんた at 15:38| 千葉 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | コラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月25日

かぶきりこぞうのこと-瓶詰め妖怪@bottle_youkai に便乗して-

千葉代表な妖怪とは

 最近、とあるアニメ作品に関連して、各県ごとに代表的な妖怪を投票で決める企画がありました。
 さて、千葉県はどの妖怪になったかといいますと、かぶきり小僧となりました。
 ?っと思われる方がいらっしゃるかもしれません。そんなのしらないと。

 あるとき、上総といいますから、今の千葉県か茨城県の田舎で、長太郎という少年が友達数人と遊んでいました。
 長太郎は気づきます。いつの間にか、友達だけで遊んでいたはずなのに、おかっぱ頭の子供が混じって、一緒になって遊んでいます。
 長太郎は近所に住む子供かと思いましたが、その顔は着物で隠されていて見えません。どこの子だろうと長太郎は思いました。同じ事を友達も考えたらしく、いつの間にか騒ぎになっています。
 顔を見れば分かると、その子供の顔をみなが見ようとします。
 奇妙なのは顔を隠している事だけではありませんでした。いくら周りから騒がれても、その子は声を上げようとしませんでした。
 もみ合っているうちに、着物が引っ張られると、その腕は毛むくじゃらでした。
 化け物だ。そう思った子供たちは一斉に逃げ出しました。
 子供たちの騒ぎを聞きつけた大人たちが、おかっぱの子を追い始めます。
 おかっぱの子は林に逃げ込みます。そして大人たちが見つけたのは投げ捨てられた着物でした。
 おかっぱの子の姿はなく、大きな狢だけがどこかへと走り去っていきました。

 と、この子が選ばれたわけですが、どうでしょうか
 
 名前の由来
 かぶきり小僧の名前の由来は、その子の髪型にあります。かぶきりとは禿をさす言葉です。禿はおかっぱ頭に似た髪型です。しかし、禿はそれほど珍しい特徴ではありません。
 同じような小僧の妖怪といえば、一つ目小僧や、豆腐小僧といったものがいます。彼らを思い出していただければ分かるのですが、その名で呼ばれるのは、もっとも目立つ部分が名前となっているといえますそう考えると、かぶきり小僧は特徴がないともいえるのです。
 そのせいか、かぶきり小僧には同じような仲間がいるらしく、さびしい山道や夜道に出て、水や茶を勧めるものもあります。
 また、同じような、カブキリと呼ばれる秋田に伝わる物は、座敷童のような伝承となっており、去ると幸運も失うとされました。

 ところで、かぶきり小僧の話は、江戸時代に書かれた本に、大きくなった長太郎からの伝聞という形で書かれています。そう考えると、長太郎が話さなければ記録されなかったということでは、とても貴重ではないかと。
 少し話がずれますが、妖怪の話というのは、話さないと生まれませんし、伝えられなくなってしまうと消えてしまいます。
 この時代、webの発達があるのでそうともいえませんが、皆さんの家のどこかにラクガキと思われてしまわれてしまっている絵巻物とかありましたら試しに広げてみてみてください。もしかしたら、古くて新しい妖怪がそこにいるかもしれません。そしてできたら自分に教えてください(笑)
posted by 九十九屋さんた at 21:28| 千葉 | Comment(0) | TrackBack(0) | コラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月20日

鴨と竜 生ける彫刻 左甚五郎

 梅雨の時期はうっとうしいですが、雨が降らなければ降らないで、大変な事になります。関東はどちらかというと水が豊富で、日照りに不作なしといいます。割合水が豊富で、加えてため池などの技術もあって、農業の為の水を確保できたからです。ところがそのような水源が荒らされたらどうでしょう。

 ある大きな森には農業に使われるわき水を池にして、農業の為に使っていました。池がある日の事、干上がっていました。水は出ているのですが、今までたまっていた分を使われてしまったのです。暫くすると水がたまりまた池になりましたが、また水が無くなってしまいました。そんな時は近くの寺の山門まで必ず水の痕がついていました。村人が住職
に相談すると、それは山門にいる竜の彫り物の仕業だとなりました。そこで護摩を焚き、少し尾を切りました。それから水が盗まれることはなくなったといいます。

 この話は船橋の観行院に伝わる話です。このように、彫像が生き物の如く動いてしまうという話は結構知られていて、名工と組み合わさっている場合が多々あります。流山の東福寺の鴨もそのような怪異をなしたといわれています。

 東福寺も伝承のあるお寺なので、今後取り上げたいと思いますが、今回は山門のお話です。山門は、日光東照宮の造営された一部といわれています。その山門の鴨居に彫刻された鴨は「目つぶしの鴨」と呼ばれ、目が潰されています。
 春の鰭ヶ崎、田植えが行われています。
 綺麗に植えられた苗は、豊かな実りをもたらすと思われました。ところが翌日になると、苗は荒らされていました。仕方なく、また植え直しましたが、また荒らされてしまいます。結局、村人は、見張りをたてることにしました。見張っていると、現れたのは一羽の鴨でした。追っていくと、東福寺の方に向かい鴨は消えてしまいきます。
 村人たちは鴨を探します。生きている鴨の姿はありません。村人の一人が東福寺に着くと声をあげます。山門の鴨居に彫刻された鴨に、泥がたっぷりとついています。その事を和尚さんに相談すると、鴨の目を潰すことになりました。それ以来、鴨の目はふさがったままなのです。
 
 潰す方法ですが、資料によって、目に釘を打ち付けたという話や、ただ潰したとして上から何か塗ったような感じに記してあるものもあります。自分目が悪く、実際どう潰されているかよく見えないので、ご存じの方は教えていただければ幸いです。
 どうして、この鴨が動いたかというと、名工左甚五郎の作であったからです。そう東福寺の山門は、甚五郎の関わった日光東照宮の一部だったのです。

 左甚五郎作のものが動いた話は各地に伝わっています。東福寺は鴨ですので、村人は大いに迷惑でしたが、まだ良かったといえます。甚五郎の伝説の中には、竜や、虎が動き出したというのもあります。そうなると被害の大きさがかなりのものになりますから。

 まず、どうして左甚五郎かというと、このような話があります。
 飛騨で生まれた甚五郎は都に上がってきました。そして都でも職人として名をあげていきます。
 ある日、甚五郎は竜の彫り物を作る仕事を請け負いました。しかし、思うように竜は彫れません。そこで嵯峨法輪寺の虚空蔵菩薩に願をかけました。それは生きた本当の竜を見たいという願いでした。甚五郎が寺の裏山の蛇谷に正座して祈ったところ、満願の日に竜が現れました。まぶしくて正面からそれを見ると眼が潰れるというので、甚五郎は左の眼
を覆ってこれを見ることに成功した。以後、甚五郎は左目の甚五郎・左甚五郎と呼ばれるようになったのだといいます。
 その後、彼は全国各地を回り各地で様々な彫刻を残します。有名な物は日光東照宮にある『眠り猫』ですが、鼠や猫、虎に竜、蛇。そうしたものの多くを今でも見ることができます。
 また、彼の伝説は平安時代から江戸時代に渡り、作品と呼ばれるものも非常に多いからです。
 加えて左甚五郎の名は、江戸時代になり落語や浪曲で語られ、多くの場所で知られるようになりました。
 
 さて、戦国時代が終わった江戸時代初期、各地で多くのすばらしい建築が作られました。すばらしい彫刻ながら、誰が作ったか解らない場合、誰ともなく甚五郎の作品というようになって、様々な伝説が残ったと思われます。そういう点では前、話しました妖怪の誕生に似ていますね。


 

posted by 九十九屋さんた at 19:51| 千葉 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | コラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする