2012年10月14日

キョンシー 僵尸がテレビに帰ってきましたね


2012年の10月。キョンシーがテレビに帰ってきました。
 
 その名も好好(ハオハオ)! キョンシーガール
 http://www.tv-tokyo.co.jp/kyonc/

 物語のヒロインは川島海荷さん。本人役といいますか、アイドル、大学生としても忙しい川島さんは、テレビ番組「なんでも鑑定団」に出演の為、自宅の蔵で探索。「封印」と書かれた奇妙な鍋を見つますが、蓋を開けてしまうと、中から101匹の凶悪なキョンシーが解放されます。
 キョンシー退治をお札に頼まれる川島さんですが、状況に困惑します。しかし、ファンがキョンシーの被害にあったことを知った川島さんは、責任を取って凶悪なキョンシー退治に乗り出したのです。
 全11回予定なので、見てない方はお早めに。

以下は昔出していたモンスター紹介メルマガ『白澤図』より
僵尸

SS 祖父の思い出

 祖父は戦争で大陸にいった世代です。

 祖父が兵隊というと不思議な気がします。気性が優しく、手先の器用さと、技術もあった人ですから。それは若いうちも同じで、どうせ兵隊に出されるならと技術屋として入隊し、満州にいたといいます。

 祖父は、ある夜のこと、整備が終わり、眠ろうとしていたそうです。

 その時、祖父は奇妙な物音を聞きました。外に出ますと、誰かが飛び跳ねています。

 奇妙なことだと思って祖父が暫く眺めておりますと、その人影が体中白いのに気付きました。何か着ているとかと思ってじっと見ると何かに覆われているのに気付きました。そう体中から白い毛を生やしているのです。

 歩哨が気付いたらしくそれに近づいていきました。日本語で何かいっているようですが、人影は歩哨に近づきました。

 鈍い音が響きました。歩哨の首はねじ切られ、血が流れています。

 祖父は意識を失い、起きた時は医務室だったそうです。

 祖父はそれが何か知らないようでしたが、とても強く残っていたらしく孫のわたしに話してくれました。

 今思うと多分それがキョンシーなんですよね。

 



〜死後硬直〜 [由来]

 キョンシーは漢字で書くと僵尸と書きます。僵はたおれる(たふる)。体がこわばって伸びてしまう。尸は死体のことですから、死後硬直した死体を示しています。

 また、僵尸という言葉は妖怪の名でなく、倒れた死体という意味もあって『僵尸千里、流血頃畝=僵尸千里、血を頃畝に流す』という記述を史記に見る事ができます。

 どうして死体がキョンシーになるかというと、地面に埋められた死体が腐らずに(死蝋のようなものか?)に千年あまりが過ぎることを伏尸といいます。それが大地の気を吸って動くようになり人に害を与えるようになるといいます。それがキョンシーこと僵尸なのです。

 その人間の死体がキョンシー化するのを利用するのが「跳屍送尸術」です。中國では生まれた瞬間からその土地の土地神に管理され、死もその管理下にあります。だから他の土地で死んだものは死んでも行く当てがないのです。そこで死体を故郷に運ばなくてはなりません。そこでこの死体を操り歩かせる術ができたのです。操っているといっても仮初の生を与えているのですが、時には暴走することもあったようです。



〜中國の死〜 [余談]

 中國のこうした死に関わる存在を見ていると2つに大別されます。肉体があるものと、魄のみがあるものです。

 肉体があるものはキョンシーが代表で、魄の方は幽鬼ですね。この2つを比べて見ると性質の違いに驚かされます。キョンシーの方は凶暴で、人を襲ったり、墓場を荒らしたりしますが、幽鬼の方は人間に協力したり、恋や結婚までしたりと人間のように振舞います。

 それはなぜかと考えると中國の死生観が影響していると思われます。中國では人間のたましいは魂魄によってできているとされています。魂は陽のたましいで死んだら体から抜けて天に戻るといいます。魄は陰のたましいで地上に残り、土地神の治める幽鬼の世界に入るといいます。そして死体には何も残っていないのです。だから大地の精気を受けて動き出した肉体は、生前の人格とは関係なく、ただ動いている仮初の存在に過ぎないのです。だから人間ならしないようなふるまいをするわけです。

キョンシーを描いた作品としてはやはり1990年代にブームになった霊幻道士がやはりよいと思います。

 

 
posted by 九十九屋さんた at 22:51| 千葉 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 白澤図 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年12月13日

土蜘蛛考

土蜘蛛の姿 

 土蜘蛛は鬼の顔、虎柄の胴体に長い蜘蛛の足。鬼の顔をした妖怪と言われます。別名、八握脛とも言われます。その大きさは別名から想像される通り、かなり大きいです。深山に住んで、蜘蛛の糸や巣に絡めた旅人たちを食べたと言います。

源頼光の遭いし土蜘蛛

 ある時、源頼光は病気で伏せっていました。
 頼光といえば、武勇に優れた源氏の中でも、名の知れた英傑ですが、人の子であることに変わりはなく、病には勝てません。そこへ召使いの胡蝶が、薬をもって訪れます。ところが病は治るどころひどくなっていきました。
 夜も更けた頃、頼光の部屋に見知らぬ法師が現れます。不審に思った頼光が法師をよく見ると、正体が明らかになります。それは蜘蛛の化け物でした。蜘蛛は糸を放ち、頼光をがんじがらめにしようとします。頼光は、名刀膝丸を抜き、切りつけました。法師はたちまち姿を消してしまいました。
 騒ぎを聞きつけた頼光の郎党が駆けつけます。頼光は何があったかを語り、逃した蜘蛛の化け物を退治するように命じます。
 郎党が、化け物の血をたどっていくと、古塚にたどり着きます。壊すと、その中から現れたのは土蜘蛛の精でした。そして・・・

 今年の9月、市川の中山法華経寺で中山薪能がありました。今回で4回目を数える中山薪能ですが、三年ごとに行われるので、ご存じない方もあるかもしれません。
 今回、その演目の中に『土蜘蛛』というものが含まれています。演じる方や、演出などによって、変わりますが、おおよそのストーリーが上のものです。ただ、典型的な勇者の怪物退治と思われるかもしれませんが、この土蜘蛛、そうシンプルな存在ではないのです。

自証院の土蜘蛛

 自証院は闇に覆われていた。
 時刻は夜、新月で星明かりだけが差し込んでいる。このような刻限、まして寺社の中であるというのに、歩いていく女の姿があった。
 旅人であるのか、笠を差し、手には杖が見える。
 女の姿が不意に消えた。そうではない。大木にその身体は幾重にも重なり、紐にまかれ、引っ張りあげられていた。
 しかし、女は騒ぐ様子はない。まるで、何かを待つようにそのままだ。
 枝の一本が女の足に押さえられしなった。刹那、女は跳んだ。白刃が閃いた。紐は切り裂かれ、女には自由が戻った。そのまま、女は紐の元に向け、刃を突きつけた。
 稲妻のような突き。
 血が月光の中、舞う。
 何かが大木の上から落ちた。女もそれを追い、地面に飛び降りる。
 笠が転がった。
 女ではなかった。小柄で、よく整った顔に薄化粧をしているが、それは紛れもない武者だった。名を渡辺綱といい、源頼光の四天王だ。
 綱はたいまつを手に、流れ落ちた血を追い、闇の中に進んでいった。

 自証院は現在の新宿にあります。新宿は名の如く、東京の歴史でいえば新しい街です。『野暮と化け物は箱根から先』と江戸時代に言われましたが、昔はそうでもなかったようです。
 ところで、その退治された土蜘蛛の住居から水が湧き、「くも井」と呼ばれました。そのわき水を飲んだものは呪われて、死んだものもあったといいます。その「くも井」の側に坂があり、「蜘蛛切り坂」と呼ばれました。
 自分も行った事があるのですが、普通の坂で、そういうことがあったとは思えませんでした。実はいったときはそういう伝説があったと知らず、今回調べていて、通りかかったのを思い出したくらいなので。

 2つの話を紹介しましたが、手傷を負わせたものの、その場で倒しきれる事ができず追った設定になっているのは、土蜘蛛ものの定番のようです。
 最初に能を中心とした話。続いて実際に伝わっている伝説を話しましたが、決定版ともいえる物語があります。源頼光と渡辺綱が土蜘蛛を退治した『土蜘蛛草紙』といわれるものです。
 『土蜘蛛草紙』は関西を舞台としているものです。勿論物語ですので、作られたものです。土蜘蛛だけではなく妖怪やら怪人、無論豪傑もでてきますので、機会がありましたら、どうぞ。ちなみに上野国立博物館に実物が収蔵されています。


土蜘蛛の正体

 ところで、現在の地名には伝説が名の由来となっているものもありますが、土蜘蛛もとある県にその名を残しています。
  土蜘蛛が絡んだ県名がどこかといいますと、茨城です。
 現在の茨城の辺りには、山の佐伯、野の佐伯と呼ばれるものがいました。
 古老の言葉によると、それらは国巣(くず)あるいは土蜘蛛(つちぐも)、八握脛(やつかはぎ)であったといいます。
 土窟(土に穴を掘った洞窟)を掘り、常に穴に住み、人が来れば中に隠れ、人が去ればまた出てきたといいます。
 彼らは狼の性、梟の情を持つといわれ、略奪や盗みを繰り返しました。
 そこで、黒坂命という男が、穴から出ている時を探り、茨棘を穴にいれ、騎馬を放ちました。
 急に迫われた佐伯は、土窟に走り帰り、茨棘にかかり、滅んでしまったといいます。
 その後、茨棘から棘をとり、その地の名としたといいます。
 ちなみに茨城の由来についてですが、いくつか説がありますが、土蜘蛛とは関係ありませんが、興味のある方は調べてみるのはいかがでしょう。

 穴居というと日本ではほぼ見かけませんが、かつては住んでいた後が残っています。中国にはヤオトンと呼ばれる住宅がありますし、ヨーロッパ、南米の山岳地域でも存在しています。
 そうしたことを考えると、彼らはなんであったとかといえば、記録した人々と、生活習慣の違う存在であり、当時の政府と対立した集団であったと思われます。記録はあくまで勝った側のものとなりますから。

  
posted by 九十九屋さんた at 20:30| 千葉 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 白澤図 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年11月18日

ドワーフ

SS 神の鍛冶屋  

 ドラゴンの喉元をその剣の一撃は抉っていった。

 今までいかなる戦士の剣を弾いてきたドラゴンの鱗。その鱗を貫き命を奪った剣を見ながらロディ・ファーランドはこの剣を打った老ドワーフイスタエフの事を思い出していた。

 剣を頼みに行ったとき、最初追い出された事。

 誤解を解くことになったキマイラとの戦い。

 一緒に各地を回った剣の材料探し。

 イスタエフは魔王の化身たるドラゴンを倒すことができる『影の剣』を創りだすことができるのが自分のみであり、剣を打てば業病に冒された身体が持つことは無いと知っていながら鍛えたこの剣。

 ドラゴンは倒れ、ロディの身体を血で濡らす。

「イスタエフ」

 これからこの剣は『ドラゴンスレイヤー』の銘を与えられるだろう。だが、誰がその名で呼ぼうとロディはその名でこの剣を呼ぶことは無い。この剣の名はまぎれもなく『イスタエフの剣』なのだから。





〜与えられた姿〜[由来]

 北欧の世界創造をご存知ですか?。省略して話しますと、イミルという巨人がいました。三人の神がイミルを殺し、血から海を、肉から大地を、頭蓋骨から天を造りだしました。その肉である大地から湧き出したうじこそがドヴァルグ(ドワーフ)の始まりなのです。

 彼らは『黒妖精の国』に住み、神も巨人も無く自らの利益で働く、偏狭な一族です。その細工の腕は一流で、オーディーンの持つ槍『グンニグル』や、九夜ごとに同じ大きさの黄金の腕輪を八つ生む『ドラウプニル』や、大きさを自在に変える武神の持ち物であるハンマー『ミヨッルニル』などが彼らの作品です。これは金鉱など地下にある無限(と思われた)の宝がシンボライズされた姿なのでしょう。ともあれこうした器用な要素がドワーフの職人気質な姿に影響しているといえます。

 伝説や神話から外れた彼らは『白雪姫と七人の小人』でも分かるように陽気な存在になっていきます。中世の騎士物語では騎士の従者となって活躍する事も多かったようです

 

〜仲の良し悪し〜 [余談]

  これはファンタジー界の常識と言えることですが、ドワーフはエルフと仲が悪い。それはどうしてかと考えると、ドワーフの持つ斧というアイテムが関係しているようです。斧といえば当然木を切るための道具ですし、エルフが守るべき木(というかエント族)と相性が悪いですから。

 象徴という意味を考えると、ドワーフは男性で、エルフは女性といえます。古くからの伝承を見てみると女性のドワーフや、男性のエルフはほとんどでてきませんから。

 ドワーフの出てくる話というと、『ドラゴンランス戦記』が思い出されます。ドワーフらしいドワーフや、どぶドワーフ等、日本の小説には無いドワーフの姿を見る事ができます。
posted by 九十九屋さんた at 09:44| 千葉 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 白澤図 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

エルフ

SS 森の守り手たち  

 森の声は悲哀に満ちていた。森が多くの鱗をつけたものたちに蹂躙され、焼き尽くされようとしていた。

 しかし森は悲歎するのみで自分たちは動くことはできない。

 鱗をつけたものの一人が不意に倒れた。矢が鱗をつけたものの身体を貫き、その命を奪っている。

 そう森の奥に住むエルフたちが自分たちの声に気付き森を焼く者達を追い払い始めたのだ。

 鱗をもつものたちは応戦しようとしたがそれも無駄な事だった。

 森を良く知り、なおかつ森に愛される彼らは、木々の間に潜み、恐るべき弓の威力で鱗をもつものをたちを倒していった。

 一人また一人と減っていく鱗をもつものたちを見ながら森の声は喜びに満ちていった。

 その中でエルフのニアヴ・ハークレイブは考えていた。

 今まで見た事の無い種族の乱入。それが世界を混乱と招く何かの策謀なのではないかと。





〜堕ちたもの〜[由来]

 エルフの外見を考えてみてください。長い耳、釣りあがった目、痩せた体形。

ではダークエルフはどうですか?。その皮膚の色が黒くなったのを想像できました?。それはどこか悪魔に似ていませんか?

 悪魔はもともとは堕天使と呼ばれ天から落ちたものです。そしてエルフも天から落ちたものです。そういうとみなさんは意外に思われるかもしれませんがそうなのです。

 もともとエルフはアールヴと呼ばれる存在で、輝く星そのものであり、天の国アールヴヘイムに住み、神々のように崇められていました。しかし星とは違い罪を犯したアールヴは流星と化し地上に落ちてしまうのです。人の目をさけた彼らはこっそり森の奥に住み、ひっそりと暮らすようになりました。

 この辺りがファンタジー世界のエルフの過去に囚われがちと言った印象や、もともと神だった事から高慢というイメージにつながったのかもしれません。

 

〜トールキン教授の事〜[余談]

 もともとはエルフは英語で髪のほつれをerflockと言ったり、ドイツ語で悪夢の語源になったりと見えない悪戯好きの妖精というイメージで、まあ、オベロンやティタニアに比べれば、それほど重要な妖精ではなかったのです。

 エルフが今のようにメジャーになったのはやはり指輪物語のおかげです。物語中のエルフの言葉はケルト系の言語で作られており、そのことからケルトの妖精『シー』がエルフの正体とされています。

 トールキン教授の『シルマリルの物語』はエルフの理想郷アマンへの思いと、永遠の寿命が故の苦しみが語られており、エルフの元を知りたい方には読んでいただきたい一冊です。
posted by 九十九屋さんた at 09:42| 千葉 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 白澤図 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年11月17日

ベルゼバブ

SS 悪霊の頭

 教会の中にいるのは一人の若い神父と年老いた司祭であった。

 二人の顔には隠し切れない疲れの色が見えていた。

「本気ですか司祭?」

 その問いに司祭は頷いた。

「ベルゼバブの力を借りるなど」

 悪魔払いの為に来たこの教会でかの「蝿の王」の名を聞く事があるとは思わなかったわたしは思わず激しい声で言った。

「その通りだ」

「悪魔を祓うために悪魔の力を使うなど間違っています。聖書にもあるではないですか、主が悪魔どもを放逐するためにラビが、ベルゼバブの名を使うことを咎めたと」

「その通りだ。我々の教えが世に遍く広がるまで、ベルゼバブこそが魔神たちの王だった。今回のように神が目を背けていらっしゃるのなら、ベルゼバブを呼び寄せるしか手はない」

「それは神を否定することになるのでは。悪霊を払うのに悪霊の力を借りるのはただの内輪もめだと主ももうされています」

「私は神学上の是非よりも、一人の存在を救いたいのだ。彼女の苦しみを見た神父なら分かるだろ」



〜蝿の王〜 [由来]

 ベルゼバブはヘブライ語ではバアル・ゼブブと言われます。これは『蝿の王』という意味で、蔑称です。本来はバアル・ゼブル。古代カナン人の神の名前であり、ヘブライ語で『高い館の主』の意味を持っています。しかしその意味ソロモン王を連想させることから、蔑称であるバアル・ゼブブの方に変えられました。他にもさまざまな蔑称があるでしょうにどうして蝿の王という言葉が選ばれたかというと、ベルゼバブを祭っているエクロンの神官が蝿で占いをしたからといいます。同時にハエは旧約聖書中にも災厄の象徴として記されています。

 また、バアルは主人や王という意味なので古代の神々でもアスタロトなど女神の伴侶となる神には多くつけられる名でもあります。

 そんなものがどうして悪魔になったのかといえば、キリスト教が発達し、他の宗教の神々が悪役になってしまったせいです。魔神と呼ばれるバールもまた同じように悪魔になってしまったものですね、そういう意味では零落した神が妖怪になった日本ともにているかも知れません。

 

〜現在封印中〜 [余談]

 実はベルゼバブは現在、地獄に幽閉中なのです。聖書の中でキリストによって何度となく邪魔をされたベルゼバブは、ユダを利用してキリストを処刑させることに成功しました。そして魂になったキリストを捕らえようとしました。

 そして死んだはずの万軍の主(キリストの魂)ですが、多くの天使を従え、地獄に降りてきました。ベルゼバブをはじめ、悪霊たちはそれに怯え、巨大な青銅の扉をしめ、万軍の主が入ってこれないようにしました。ところがその青銅の扉を破壊し、入ってきました。逃げようとしたベルゼバブは捕らえられ、万軍の主の第二の来臨(すなわち最後の審判)まで地獄に閉じ込めておくように命じます。

 しかし、ベルゼバブはその枷をあっさり解き、地上に出てきているようで、17世紀はフランスで悪魔払いを受けたり、サタンにかわって一時期地獄の君主にもついたといいます。
posted by 九十九屋さんた at 22:03| 千葉 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 白澤図 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

フェニックス

SS 永劫

 力尽きたフェニックスが神殿に赴くのを見るのは稀な事である。

 かの鳥の寿命は600年あまり。生きている間にそれにあたることは

まずない。

 フェニックスは神殿のただ中、元気な間に自身が用意した没薬の中に入り、

息絶える。

 彼を包む炎は自身をも焼き尽くし残るのは灰ばかりだ。

 それを見て落胆するものもいるだろう。いったい不死鳥とはなんなのかと?

 多くのものはここで立ち去る。なぜならこの後にくるものがなんなのか

我々生限られるものには毒のようなものだからかもしれない。

 灰の中、動く何かを見なかったろうか。消えていた炎は灰を燃え上がらせ、再びフェニックスの形を為す。

 だが、それは最初に神殿に来たフェニックスと違う姿。

 そのフェニックスは親であり、自分自身であった時の威厳はない。ただ、若返り雛鳥と化したフェニックスには再び新しい生が始まるのだ。





 

〜エジプト生まれのギリシア育ち〜[由来]

 フェニックスってみなさんどこを想像します?

 自分はギリシアなんです。まあ、フェニックスという言葉がギリシア語でギリシアでなんで当然なんですが。フェニキア、紫、ナツメヤシの三つの意味を持つといいます。フェニキアは地方名ですが、この地の貝からとった染色は紫で王者の色とされました。また、勝者のシンボルとしてのナツメヤシと同一視されるとのことなので、なかなかいい意味を与えられたといえます。さて、言葉の方はそうですが、モチーフとなったのは何かというとベンヌ鳥です。

 ベンヌ鳥は「立ちあがるもの」を指し、オシリス神の心臓から飛び出したカー(霊魂)とされました。オシリス神話は再生の物語であり、その過程を再現したものがエジプトで有名なミイラ作りの技法です。そのためベンヌ鳥は再生をまつ人々、つまり死者の守り神ともされました。

 そんなイメージから再生という意味合いでフェニックスの先祖というにふさわしいと思うのですが、後年はイメージがまた変わってきています。

 いつの間にか生息地がエチオピアに変わってしまうのです。これは美しい鳥の羽がこの二国からもたらされたからのようですが、海獣のイッカクのイメージがユニコーンを作り出したのに似ていますね。





〜不死という象徴〜[余談]

 フェニックスは、蘇生や不死、再生や死の克服といったシンボルとなっています。その言葉で象徴されるものはなんでしょう?

 日本でしたらそれぞれだと思いますが、ヨーロッパではキリストに結び付けられました。

 最初に聖書を整備したオリゲネスの中にその記述を見ることができますから、初期のシンボルといえます。

 鳥でキリストというとペリカンもシンボルなのです。ペリカンという鳥が自分の血を持ってタマゴを孵化させると信じられていました。シンボル的には自らを犠牲にして人々の原罪を清算しようとした

キリストの行為に結びつきます。こちらは犠牲の精神であり、人間性を象徴しました。ではフェニックスはというと、キリストの神の本性を象徴しました。

 フェニックスは、現在、恐らく世界でもっとも良く知られている幻想動物の一つです。初期では存在が信じられていた時代でも常に一羽ということから、見ることができない生き物とされていました。それはペリカンと違い捕らえられないものであり、触れることのできない神を思わせたからではないでしょうか。 と、それらしくまとめてみましたがさらに余談。昔、フェニックスの丸薬っていう薬があったそうです。それは甦ったフェニックスの残していった巣から作ったとされる薬で、有名だったようです
posted by 九十九屋さんた at 22:02| 千葉 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 白澤図 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年05月07日

孫悟空

SS 仏さま?

 うちの近くにある西至寺のご本尊は変っている。猿なのだ。猿と言ってもしっかり仏様だ。サハスーラーラーチャクラの現われの光輪を始めとして、三十二相もあるのだけれど、やっぱり猿なのだ。

 母の実家の墓があるので、何年かに一回は行くのだが、やっぱり聞くことはできなかった。『ご本尊がどうして猿なんですか?』なんて故人を偲んでいる時に聞く事じゃない。

 でも、今年は聞いてみた。1月におじいちゃんの三回忌をした時に住職が

『今年は記念すべき21世紀です』なんて言うから、こっちもついつい気安くなってしまったのだ。

「何でご本尊は猿なんですか?」

「猿ではない闘戦勝仏様だ」

「でも、どう見ても猿ですよ。尻尾は無いけど」

「西遊記を存じておるな。あれは最後にどうなったか知っておるか?」

「三蔵法師は天竺に至ってお経を持って帰ってきた」

「その時お供だった方が、その苦労を認められて仏に任じられたのが闘戦勝仏様じゃ」

「じゃあ、これって」

「その通り。俗世にいらした頃の名を孫悟空という」

 猿なわけだ。



 

〜猿の英雄たち〜[由来]

 孫悟空といえば皆さんご存知の通り仙術を操る猿です。って、えらく簡単ですね。その原型を考えた時、ハヌマーンが思い当たります。ラーマーヤナに登場するハヌマーンは風神の子であり、主人公であるラーマを助け八面六臂の活躍をする英雄神です。彼の持つ飛行能力は孫悟空の姿が形成されるのに大いに貢献したことでしょう。

 孫悟空がインドのハヌマーンの影響を受けたように、日本の物語には中国の翻案ものが多くあります。例えば『里見八犬伝』は『水滸伝』、『平家物語』は『三国志』、『大岡越前』の大岡裁きなんかそうらしいです。では『西遊記』というと、答えは『桃太郎』です。中国で身近だった猿、豚、いるかは日本では犬、猿、雉に変ってしまったものの、桃をキーワードとする神仙への陰は話に残っています。

 でも今の十代から三十代にかかる人にとっての孫悟空はドラゴンボールのゴクウなのではないでしょうか。

 孫悟空というと京劇の孫悟空を忘れる事はできません。その生き生きと躍動的な動きは必見です。教育テレビなどで年一くらいで放送されるので良かったら見てみてください。

     



〜その後の孫悟空〜[余談]

 孫悟空の能力は多種にわたります。例えば変化の術や、毛を用いた分身の術。空を自在に翔け、その能力は破壊的です。そのためか天竺にいってお経を手に入れた後も彼にはなかなか自由が与えられませんでした。闘戦勝仏として仏さまになったはずなのに、その性格が災いしてか方々で騒ぎを起こしております。

東遊記では仙人たちと共に戦い、封神演義ばりに大暴れしております。

 そして恐ろしい事に天竺で得たお経が不完全だった事が明らかになるのです。とはいうものの既に孫悟空を困らすほどの妖怪は存在していません。西遊記時代の障害ですら、神仏の元から逃げた神獣の類が多かったくらいですから。そこで登場するのが、花果山の新しき石卵より生まれた二代目となる孫履真なのです。彼は猪八戒の忘れ形見の猪一戒、沙悟浄の弟子の沙弥、そして新たな三蔵法師大顛と共に天竺を目指すのです。これは後西遊記という話に収録されておりますので、機会があったらどうぞ。
posted by 九十九屋さんた at 20:28| 千葉 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 白澤図 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年05月06日

白娘子

SS 天に逆らい

 白娘子は人となった姿を見ながら大きく息を吐いた。

  西王母さまの蟠桃園で、仙桃を盗み食いして神通力を得てからこんなに気もそぞろになったのは初めてだった。

  雨の一滴に身を変えて、降りしきる大雨の中、地上にまで降りてきた。ここで神通力に気付かれれば天界のものを招くかもしれない。

  峨嵋山連環洞での修行で、神通力に磨きが掛かったとはいえ、斉天大聖孫悟空のように天将や、天兵の相手をするほどの力はない。

  それでも人界にいかなくてはならなかった。そう、桂枝の為にも。彼が人界に落ちて、ただの凡胎となり、貧しく苦労しているのは自分の為なのだ。だからこそ自分は地上に赴いて彼を助けなくてはならない。

  このまま、こっそり人界に入ってしまえば、誰も追ってはこないはずだ。 

  峨嵋山を降りていく。もし神通力を使ってしまえば見つかってしまう。険峻な山を下っていく。草木が手に絡み、傷をつける。白い滑らかな手に傷がつく。それでも、痛みが増せば、あの人にそれだけ近づいている気がした。

  峻烈な山が終わり、空が姿を見せる。空には天の川が、ゆらいと空を渡っているのが見える。

  そうあの天の川にかかる橋で、桂枝を見た。そして桂枝も私を見てくれた。思いは眼差しで伝わった。でもそれは許されないことだった。

  自分は天界に幽閉を命じられ、桂枝羅漢はその力を失い、許仙という人となった。

「待ちなさい」

  そこに立つのは黒で身を固めた一人の仙女だった。黒風仙とよばれる彼女は姉弟子であった。

「桂枝羅漢はもう人間です。あなたのことなど覚えていないでしょう。それなのにどうしてくだるというのですか。彼が、その因果を越え、戻るのを待ちなさい。私たちにはそれだけの時間があるのです。彼の名は許されれば仙(遷)れるということなのですよ」

「師姉、ごめんなさい。もう、あの人が痛苦の中過ごすのが耐えられないの。確かに私たちから見ればほんの短い間。でも、人間には生まれてから死ぬまで。それまでに、あの人が成れなければ、もう次はないでしょう」

「行くのですね」

「はい」

  黒風仙は小さく息を吐いた。

「師妹、よくお聞きなさい。あなたが水滴に変化した雨の中を探すのと同じくらい、桂枝羅漢が誰に生まれ変わっているか探すのは大変な事よ」

「それは」

  考えていなかった。といえば嘘になる。でも、地上まで来てしまえば何とかなると思っていたのは本当だ。

「彼は思い出を失っている。でもね、決して拭いきれないものもあるのよ。だから、探しなさい。あなたが、天界で見たのと同じような風景を。そうすればきっと彼は見つかるから」

「どうして助言を」

「私たち仙人は、情を捨てることで仙人になる。でも、あなた方のような精怪は、自然の精気を集めて神通力を得る。だから、あなたのような思いを私を抱くことはないわ。でも、世にあるものならあなたのように振舞うのが正しいのでしょう」

「師姉」

  白娘子は手を握り締めた。自分はあの人を思うあまり、何も見えなくなっている。もし、このまま人界に紛れれば、この姉弟子とももう会うことはないのだ。

「行きなさい白娘子」

  白娘子は頷くと、天ではなく暗い俗界を目指してくだっていった。



〜薬屋〜[由来]



 明の時代、初許仙という青年が白素貞という娘と愛しあい、いっしょに薬屋を営んだ。商売は繁盛したが、人の嫉妬を買い、金山寺の住職の法海に訴え出た。法海は許仙に、俗世を捨てて出家するよう勧めたが、許仙はその勧めを拒絶して白素貞と結婚した。というのが白娘子の物語の原形になったといわれています。

  それが物語に変化していきます。蛇の化身である白娘子という娘が、俗人である許仙を愛し、結婚したが、法海という和尚に妨害され、仲を引き裂かれたというのが大まかな流れです。日本だと割合僧は力づく、あるいは法力でどうにかしますが、法海は計略を用いて蛇である白娘子の正体を暴き、許仙をだまして金山寺に連れて行きます。当然、そんな事をされ、怒った白娘子は、金山寺に行き、法海に夫を返してくれるよう求めます。そう書くと何かちょっとした喧嘩に過ぎないようですが、違います。白娘子の侍女である青々は金山寺近くの西湖の水眷の主です。そう金山寺の回りは水に包まれるのです。対抗する法海も今までと違います。神兵を呼び出し、水眷と戦わせます。結果、白娘子と青々は破れてしまい、雷峯塔という塔に閉じ込められてしまいます。いつごろから様々なオプションがつき、白娘子は孫悟空ばりに仙桃を食べて、仙人として修行していたり、許仙が阿弥陀仏の弟子である羅漢になったりしましたが、基本は変わりません。

  さて、このパターンと似たものがありますね。上田秋成によって『蛇精の淫』です。

  ある男の人が雨宿りをしている女の人に傘を貸し、いつしか相思相愛になります。二人は婚礼をあげますが、彼女の周りで奇異な事が起こります。ある知り合った和尚が女の身から出る妖気に気付き、呪文を唱えると実は白蛇だった。白蛇はその侍女の青々(青蛇)ごと鉄塔に封印されてしまいました。

  さて、この2つをいい感じに組み合わせた物語が、『雷峯塔物語』 作田中貢太郎 として青空文庫で見ることができます。

  雷峯塔物語では、そうでもありませんが、京劇の白娘子は恋のあまりに一途に振る舞い、愛らしいです。SSの方はそんな風にイメージしたのですがいかがだったでしょうか。



〜変化〜[余談]

  歌は世に連れ、世は歌に連れといいますが、物語もその性質を持っています。そう、白娘子はまさにその見本といえます。

  さて、変化の様子を見て見ましょう。

  青々は捕らえられていないバージョンもあります。ここでは青々はその後、修行をし、鉄塔を打ち倒し、見事白娘子を救い出します。

  あるいは、白娘子と許仙の子供が、成人して修行をし、鉄塔を打ち壊し、助けるというバージョンも存在しています。

  これらは2つとも、最初の物語にはなかったことですね。

  しかし、そこで問題になるものいます。そう白娘子を封印した法海和尚です。きっと彼は敵対者として青々や、白娘子の子の障害となると思われるでしょう。しかし、そうはならなかったのです。

  白娘子が封印された事に関して、蘇州、杭州一帯の民衆は次々に白娘子の味方をしました。白娘子はもともとの話と同じく、薬屋を営んでいました。彼女は仙人として修行もしていますから、人間が作った薬とは比べ物にならない薬効があったのです。この知らせが玉皇大帝のところまで届き、彼はただちに太白金星を下界に派遣し調査させた。 とはいうものの、天界と人界では時間の流れが違うのでそこそこかかってしまったようですが。太白金星は神兵神将を率い、下界に降り法海和尚を捕らえようとしました、ところが法海は逃げたのです。追われ、陽澄湖の付近までたどり着いたとき、もう逃げ場がなくなりました。切羽詰ったなか浅瀬の岩の隙間にガニを見つけると法海和尚は蟹の甲羅の隙間にもぐりこみ、蟹の甲羅の中に隠れてしまったのです。「 本来なら雷に打たせて殺すところだが、見たところ悔い改める気持ちもあるようだ。多少なりとも活路を残してやろう。今後おまえは自らの本分を守り、蟹の甲羅の中で修行を積み、悟りを開け!」 とある意味、殺されるより辛い事に法海はなってしまったのです。蟹の中から出る事を許されなくなったのす。実際の法海和尚は歴史上、仏教文化に貢献をした僧侶なのですがふんだりけったりですね。ちなみに今でもその法海和尚を蟹の中に見ることができるそうなので、一度見て見たいものです。
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2005年05月05日

ミトラ

SS 密儀

 ただ、そこは暗かった。光一つなくそこは場所ではなく、闇そのものに埋もれているような気がしてくる。ヒトは自分自身を知っているようでその内側を知らない。この闇の中にいると、闇を鏡として自分の事を映しているように思えた。

 そこにあるのは時には善き事であり光である。

 そこにあるのは時には悪しき事であり闇である。

 周りにあるのは闇。少しづつ闇が増えていく。

 闇だ。

 限界だ。侵食するものに限界を感じた時に不意に光が覆った。

 闇の中で見るその光は圧倒的だった。それは圧倒的な強さをもって体の中にしみこんで来る。その光の中に輝く刃があった。

 光の確かさ、強さを知った今、闇を恐れるものはなかった。

 目の前で牛にナイフが振り下ろされた。その飛び散る血を浴びながらそこに感じるのは強い太陽の神の姿であった。



〜地母を食い破るもの〜[由来]

ミトラはもしキリスト教が力をつけるのが遅かったら、ローマの国教になっていたかもしれないほど信仰された神です。そのため記録の類があまり残されておらず、兄弟愛、聖餐、洗礼、死後の世界、最後の審判、そして復活などをはキリスト教に吸収されてしまいその名はあまり知られていません。では、残された伝承を辿っていきましょう。

ミトラは12月25日に岩から生まれたといます。そうキリストの誕生日がこの日であるのは、換骨したものかもしれません。そして岩を破って生まれたというのは、地母神以上の力を持って生まれた事を示しています。ではミトラとは何なのでしょう。ミトラは光輝の神といわれています。それは無論太陽です。

ミトラの幼い時の姿は両手に短剣と松明をもつ図像であらわされるか、あるいは弓と矢をもった武神の姿をとります。弓と太陽、この2つの組み合わせからするとアポロンが思い出されます。ギリシア神話では代々力ある子に親が殺される傾向があります。アポロンもいずれ簒奪していたと考えると、似ても当然のような気がします。





〜アフラ・マズダの盟友〜[余談]

 インドとイランの神話は同じ根を持っているといわれています。インドでは悪神である阿修羅が、イランでは善神アフラになっています。さて、ミトラもまたどちらの神話にも名を残しています。イランではミトラはミスラと呼ばれ、光明神であるアフラ・マズダと共に戦います。またインドにおいてミトラと呼ばれ、法を司るヴァルナ神の脇を固めております。  

 この二つの神話に置いて見られるのは戦士の神としての姿、そして契約の神ということです。死者の生前での善行のほどを量り、天秤をもって判事の席につき、魂を楽土に導くか地獄に落とすかを決定するとされています。契約とは神との契約であり、世界の法そのものです。そのせいかミトラは最終的にこの世を支配する法の神となったのです。

 その原形に様々なものが重なり現在のミトラとなりました。ミトラは男性原理と女性原理を持つ神であり、その2つを持つということは、大抵の教えを教義に吸収できることを表します。ギリシア神話や、アジア的なもの、さまざまなものを吸収したミトラしました。そのため最終的なミトラの姿は光球の中に住み、男性神としては力強く光輝に溢れた王であり、女神としては大地に棲む自然となりました。

 しかし、その自由度の高さが後に災いしました。宗教からぬける事を抑制していなかったミトラ教は晩年、キリスト教への改宗者を増やしてしまい、その信仰は消えていったのです。
posted by 九十九屋さんた at 08:41| 千葉 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 白澤図 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

アンチキリスト

SS 審判の日

 ビルがかつてのバベルのように崩れていく。

 その中でより高く天に聳えるようなビルがあった。その最上階の一室から世界を見下ろすものがあった。

 街の至るところが上がる火の柱を眼下にしながらそれは満足気な表情を

浮かべていた。

「わたしたちの勝利だ。神は油断しすぎた。自らの計画に絶対の自信を持ち、その言葉のままに獣たる自分に三年半の猶予を与えた。それが全ての誤りなのだ。世界は神の手を離れるのだ」

 嘲笑がフロア全体に響き渡る。その笑いが不意に止む。

 一人の男がフロアに現れた。片手には鉄の杖、全身に傷を負い、半死半生に思える。だが、その目はまっすぐにそれ、アンチ・キリストを見ている。

「よくも生きているものだね」

「少し遅れたようだがな。お前の時間は終わったんだよ」

「それはどうかね。既に扉は開かれた。新たな神の力を見るがいい」

  



〜最後の悪魔〜[由来]

 光があるところには闇が生じます。仮面ライダーにはショッカーが、リュウにはゴウキがいるように必ず反発するの物があるのです。

 アンチ・キリスト、彼らもまたキリストと同じく、人の子として生まれてきます。彼らは見目麗しく、性格も謙虚で温厚なのです。才能に溢れ、正義感が強く、偶像崇拝者(=異教徒?)と激しく対立することから、多くの人々に信頼されていきます。そして彼らを愛する人々により王座(=大統領?)へと上げられるのです。そして彼らは多くの奇跡を起こします。山を消し去ったり、島を作り出したり、人とは思えない力です。しかし偶像崇拝者を倒している時の彼の平調は英雄とは思えぬ色がありました。血を好む彼らの手はやがて自らを選んだ人たちにも向かいます。彼らの起こした奇跡によって大地は荒れ果て、瓦礫と荒野と化すのです。

 人々の絶望が決定的になるのはその後です。アンチ・キリストが自ら与えた印を受けたもの以外助ける気はないと明かされるのです。

 しかし闇ある処に光はあります。アンチ・キリストが勝利をおさめたと思った時、真のキリストが現れ、闇は放逐されるのです。そして千年王国が始まるといいます。

 



〜666の獣〜[余談]

 666は悪魔の数字というのは映画の『オーメン』シリーズで有名になりましたね。自分たちはその程度ですが666はキリスト教徒にとってはな数なのです。それはヨハネの福音書にあるこの記述のためです。

『知るものして獣の番号を数えよ。それはその人間の番号なればなり。600と三つの20と6なり』

 合計すると666ですね。

 さてその獣はどんなものかというと、黙示録に載るものをさしています。頭は七つ、角には十の冠があり、頭には神を汚す名がついている。その身体は豹に似ていて、脚は熊、口はライオンのようだといいます。これはローマ帝国を支配した十人の王と七つの丘を示すといわれています。黙示録の書かれた当時、弾圧してきたローマを示しています。それに次いで現れたもう一体の獣、子羊のように二本の角を持つ獣。これが獣の数字を持つアンチ・キリストなのです。実際成立した年代を考えると、それはローマのネロ皇帝を示すらしいですが、今は誰をさすのでしょうね。
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イシス

SS 彼女

 私がシシの姿を見つけやのはパリの街角の事だった。

 エクソシストとして多くの悪魔や悪霊を見てきた私にとっても彼女についた悪魔は特別なものだった。

 彼女の所業は聖書にあるシモンに比肩すると思われた。救い主に挑戦したかの錬金術師に。

 ヴァチカンでは多くの神父たちの、聖句も聖水も寄せ付けず、祓いの場でも怯むことなく、女王のように振舞い、悠々と出て行った。

 その彼女が今目の前にいる。まるでどこにでもいるパリジェンヌのようだ。

 私は聖なる短剣を手にとった。油断している今なら倒せるはずだ。いくら呪われた悪魔といえど人の肉体にある間はその檻に閉じ込められたも同然だ。そして肉体を失えば悪魔でさえ、力を示すことはできない。

 シシを追ううちに裏町に来ていた。

 小さな祠を前にシシは立ち止まっている。

 私は意を決っし彼女に向かい飛び込んでいった。

 肉に刺さる感触と流れる血。その感触に短剣から手を離し、後に逃げる。

 シシは私の方を見た。驚いたようなその顔は死を前にしたものではなかった。

「ここは私の街、失敗したね」

 私は思い出していた。パリとはPAR・ISIS、イシスの森から派生したということを。そしてSISI(シシ)のとはISIS(イシス)のアナグラムだと。

 シシ、現代のイシスは笑顔を浮かべ私を見つめた。

 短剣が転がる。彼女の傷口は塞がり、血は一瞬のうちに止まっていた。





〜もっとも力ある女神〜[由来]

 伝説によればイシスは最高神である「ラー」の秘密の名前を奪い取ってから、その権力は神に比肩し、全世界に広がったといいます。世に生きるすべてのものは彼女の血の滴であると。

 それほどまでに言われるようになったイシスとはいかなる神だったのでしょうか。彼女はもともとエジプトの女神です。大地神と天空神の間に生まれ、兄オシリスと共にエジプトの支配者となります。しかし弟神セトによりオシリスは命を奪われ、各地にその躯はばら撒かれます。イシスはそれを集め、オシリスを蘇らします。これはイシスの地母神の性質が示される話ですが、エジプトではオシリスの死体を発見し、保管する様がミイラ作りの思想として残りました。その点だけでもエジプトでメジャーであったのは想像がつきますね。

 さてその後イシスはローマに渡ってきます。ここでは地母神の性質に加え、よく伴侶の為に尽くしたということで理想の婦人として信仰されます。さらに運命を司ると言われるようになり信仰はますます高まりました。

 こうした性質がオカルティストたちを刺激しました。そうイシスこそが宇宙の秘密を解くものとされたのです。これはフリーメーソンやローゼンクロイツにも伝わります。

 イシスの横顔を描いたレリーフがフィレ島に伝わっています。頭は兜をかぶったように大カラスの翼でくるまれています。その中央には月が。両脇からは雌牛の二本の角が竪琴のように月を縁取っています。女神のはだけた上半身からは子供にでもやるようにむき出しの乳房が見えます。これは様々な女性的なイメージの混合ですが、それがイシスという存在を示しているのかもしれません。





〜黒い聖母〜[余談]

 古い教会のマリア像を掃除したとき、いくら洗って白くならず、もともと黒く作られている事があります。黒い聖母と呼ばれる存在です。

 信仰を集めるイシスをキリスト教はほうっておくことはできず、弾圧に乗り出しました。その中でイシスは聖母マリアに擬せられていったようです。それは隠すというよりもキリスト教側がわざと混同したという説が有力です。まるでイシスの神秘の力をマリアに与えたかったように。

 マリアの像が黒い意味には人種的なものがあります。黒は白色人種にとり、異国人というのを示しています。それが黒い聖母の所以なのです。

 現在、黒い聖母はいわれも忘れられ、普通のマリア像として祭られていることが多いのです。世界中には奇跡を起こすとされるマリア像が多く存在しています。

 調べるとその多くが古くから伝わる黒い聖母像だというからおもしろいものですね。

 ある黒い聖母像のある教会では、そのマリアがイシスだということが知られており、こんな言葉が伝わっているそうです。

『終末を迎える時代それは聖母マリアであり、永遠の中ではイシスである』

 何か本地垂迹説みたいですね。
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メフィストフェレス

SS もっとも早きもの

「メフィスト」

 闇の中に若き魔術師の言葉が響くと、もう目の前には一人の男が立っていた。

 シルクハットに燕尾服、黒いマント。戯画のように思えるその姿をした男は人ではない。

 彼の名はメフィスト・フェレス。空飛ぶ魔神と言われ、天の兆しを読み取ることから未来の予知に長ける悪魔だ。

「まったく君の早さには恐れ入るね」

 メフィストは笑った。

「俺は人の考える速さで動くからね。これは俺があんたの空想の産物って言ってるわけじゃないのをくれぐれもお間違いなく」

「ああ、分かっている」

 メフィストはなれなれしく魔術師に触れた。

「でもあんたたち人間はもっと早いものを持っているよ。俺たち悪魔だってとても及ばない」

「それは何だい?」

「何だと思う?」

「天使ではないな。それは恐らく人に関わるものだろう」

「すばらしい。よく見抜いたものだ。善から悪、悪から善に替わる早ささ。とても俺たちには真似できない。意外と俺たちは主義主張に律儀なんだよ」

「我々は土から作られているからね。土はそこにあるもので姿を変える。もともとが光の君らとは違うよ」

 

〜愛すべからず光〜 [由来]

 メフィスト・フェレスの名前の由来は、ギリシア語で『愛すべからず光』とも、『光を愛さぬもの』とも捕えることができる悪魔らしい名前です。彼はもともと聖書に登場する悪魔ではなく、『ヨハネス・ファウストス博士の物語』を皮切りに、ドイツの大衆演劇や物語、オペラなどに登場する存在などです。彼はファフスト伝説と呼ばれるものには必ず共に登場したのです。日本でいうと義経の芝居をした時に必ず弁慶がついてくるようなものですね。

 さてそんなメフィストですが、こんな姿が伝わっています。姿は直立したドラゴン、あるいはグリフォンに似るとされ、大きなとんがった嘴と黒い翼。そしてその身体は黒い毛に覆われているといいます。

 しかし、馴染みがあるのはやはり人間になっている姿でしょう。よく手入れされた顎鬚、とんがった鋭角的な印象を持った顔。頭の上には一対の角を生やし、脚はロバのものになっているといいます。サリーちゃんのパパみたいな感じですよね。



〜契約者〜 [余談]

 メフィストとの契約は他の悪魔と違い大げさな魔方陣は必要ありません。なぜならメフィストは自ら選ぶからです。彼はまず最初に人の心にささやきを発します。それは悪徳の誘いであり、心の中に響くものです。誘惑に乗った時初めてその姿を現すのです。

 メフィストはほとんど万能といっていい力を契約した人間に与えます。若返りや、普通の人間では手にいれらないものを与えたり、死者を生き返らせたり。しかし契約したものの末路は悲惨です。契約の期間が終わると、契約していたものは全身を引き裂かれ血の海で息絶えるといいます。そう彼はその穏やかな物腰ながら地獄の大公の一人なのです。時折、契約の間に改心し、メフィストの手から逃れられる人間も居ます。

 どちらにせよメフィストは満ち足りる事はありません。彼は地獄に落ちた事を悔やんでおり、いつか審判の日に全ての罪が許されるのを待っているのです。

 だからこそ彼は神の敵でありながら、その道具のようになり、人間を試すのかもしれません。
posted by 九十九屋さんた at 08:36| 千葉 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 白澤図 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

イシュタル

SS 最古の英雄

「私は、豊かなる前兆を授けるべく、光に満ちた天界に出現する。私は、我が身の至高さに歓喜の念をいだきつつ、最高の女神として誇らかに歩を進める。私は夕べの女神イシュタル、私は暁の女神イシュタル、最高の統治者として天界の門を開くイシュタルである。至高の存在として、私は、天界を破壊し地上を荒廃させる力を持つ。天と地の祈りに応え、私は天界の蒼穹に光輝あふれる最高者として、私は山をもなぎ倒す。その私の思いを受けられぬというのか?」

 ギルガメッシュはその口元に皮肉な笑みを浮かべる。

「女神よ。あなたの恋人への気持ちがいかほど長続きしましたか? 

あなたの若い頃の恋人タンムズはどんな運命を与えましたか? 

来る年、来る年、生死の悲喜を与えたのは誰ですか?

俺はそのような道化になる気は無い」

「よう言ったギルガメッシュの。己のはいた言葉の咎を受けるがよい」

 イシュタルは叫んだ。

 ギルガメッシュはイシュタルから目をそむけた。まるで醜いものでも見るようなその様にイシュタルは小さく笑った。

 それがギルガメッシュの長い冒険の始まりであった。



〜豊穣の女神〜[由来]

 イシュタルは、各地においてアスタルテ、キュベレ、アプロディテ、イナンナなどの名で崇拝されていた太女神であったといわれます。

『女神たちの中で最も畏怖すべき神であるイシュタルをたたえよ』や、『イシュタルは女王なり』などど様様な賞賛の文句が出ています。

 そこに至る前のイシュタルはもともと金星の神でした。父神に月神、兄弟に太陽神を持ち、亭主として植物の神タンムズがいるといいます。戦闘神であった彼女はアッシリアの国家神として崇められました。その結果、信仰は大きく広がり、力のあった地母神たちの性質を得ていきました。その中でも有名なのは地母神であったイナンナの伝説を受け継いだとといわれる冥界下りです。 

 これは植物の神タンムズが死に、イシュタルが冥界に取り返しに行く話です。イシュタルは冥界の女王エレッシュ・ギ・ガルに力を奪われ、捕えられますが、最後にはタンムズを連れ帰ります。ところがハッピーエンドにはなりません。タンムズは女神の生贄として殺されてしまうのです。だが、冥界から抜け出たタンムズは死ぬこともできずに死と再生をくり返します。それは春に芽吹き、夏に育ち、秋に実り、冬に死ぬ(ように思える)植物の象徴ですがむごいものです。豊穣の女神である

イシュタルは流血により力を維持するのです。

 そんなイシュタルに逆らった唯一の人間を主役にしたのか、世界最初の英雄とされるギルガメッシュ叙事詩なのです。そう考えるとイシュタルは最初の悪役になりますね。

 

 

〜大淫婦〜 [余談]

 黙示録には『大淫婦に対する裁きを見せよう。地上の王たちは、この女とみだらな事をした。地上の人々はこの女のみだらな行いに酔ってしまった』という記述があります。諸悪の根源のように言われるこの女こそがイシュタルなのです。

 イシュタルの神殿には娼婦がいました。暗くどこか汚れたようにキリスト教社会では思われている娼婦ですが、かつては女神の恩恵を与える聖なる職業だったのです。イシュタル自身も『慈愛豊かな娼婦』と呼ばれています。その背景には、人間が神話的英雄になるには、女神とセックスすることが、最も有効だと考えられていたからです。

 キリスト教は一神教であり、そうした他の神の祝福を受けるものを嫌います。キリスト教側はそのため娼婦たちから名誉を奪い、その影に潜む、女神の影を消そうとしたのです。

 それも当然のことで聖書に登場する神を示す称号、『世界の光』、『律法を定める者』、『正義の判事』、『万軍を率いる者』などもともとがイシュタルの祈りの文句にあったものです。神が集合し、吸収されていくのは世の習いですが、一神教であるキリスト教の人々は絶対なるものを認めようとするあまり、それに対抗しえたイシュタルをここまでひどく扱った気がします。
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ダゴン

SS 砂漠の神

一人の男が祭壇に供えられている。

 その黒い肌をした精悍な男が捕えられたのは、アシドドの祭りの日、祭壇の主である海神ダゴンを嘲笑したからであった。

 神官が手に大型のナイフを持ち、笑いを浮かべた。

「既に許しをこうても遅い。切り刻まれ神の生贄となるがいい」

「愚かしいな神官よ。ダゴンなどただの従者に過ぎん」

「まだ言うか」

 神官は一撃で首に刃を叩きつけた。

 男は血を流すとそのまま息絶えていた。

「ばかが」

 神官は嬉嬉としながら神へのにえを刻みつづけた。神殿に日の光が差し始めた。神官は動きを止めた。

「どうして」

 祭壇の上で刻まれ壊されていたのはダゴンの神像であった。

 恐ろしさが神官の身体を襲った。隠さなくててはならないと思った神官の身体をより強い光が包み込んだ。そう神殿の扉が開き信徒たちが入ってきたのだ。

 神官はそのまま広場に引き出された。神体を傷つけたものとして。

 信徒たちに身体を切り刻まれながら神官は見た。人々の中に交じり笑むその黒い肌の顔を。

 それは妬み深い神の姿だった。



〜悪しき海神〜 [由来]

 ダゴンはもともとペリシテ人の神でした。その名前はヘブライ語のダグ(魚)とアオン(像)が合一したものといいます。ダゴンはそれを示すように魚と人が合わさった姿をしています。また、カナンでは豊穣神としても崇められていました。それは魚が多卵であることがシンボライズされたようです。

 ダゴンがどれほど信仰されていたか、それが有名なサムソンとデリアの話で見る事ができます。当時、ペリシテ人はユダヤ人と戦っていました。サムソンはその一人としてペリシテ人と戦っていました。サムソンは神から与えられた力を持ち、無敵でした。そんなサムソンはある時、デリアというペリシテ人の美しい女に恋をします。そしてサムソンとデリアは結ばれました。それが惨劇の始まりでした。そう、サムソンの持つ力は髭を切らない事で保たれる約束だったのです。デリアはサムソンを眠らせその間に髭を切ってしまいました。サムソンは両目を潰され、牢獄に掴まりました。ダゴンの祭りの日、サムソンは引き出されなぶり者にされました。それは失敗でした。捕えられた間、サムソンの髭は伸び、再び力を取り戻していたのです。サムソンは神殿を支えていた二本の柱を引き抜くとそのまま祭りに来ていたペリシテ人ごと捨て身で死んでいったのです。



〜新たな展開〜 [余談]

 ダゴンはそのままエホバに捕えられ、地獄に閉じ込められたといいます。悪魔としてはあまりぱっとせずに過ごします。しかし、彼は新しい神話となって蘇ります。そうクトゥルー神話のダゴンです。

 そこでのダゴンは何万年も生き、並外れた大きな身体を持っています。インスマス沖の悪魔の岩礁に近い海底に住み、

深きものども(インスマウス人:半魚人のような存在。尾のない両棲類のような姿。人間との混血も可能でなおかつ不死身)と呼ばれるものたちの長です。深きものどと通婚した人間たちの合衆国での本拠であるインスマスで「ダゴン秘密教団」の中で崇拝されています。

 そしてビルマのある地方ではダゴンにはこうした伝承が伝わっています。

「神が世界を滅ぼすことはあっても、ダゴンは別の美しい世界を創造し、ずっと美しく住みやすくなるだろう」

 そういう伝承が残っているのは不思議な事ですが、元来の豊穣神であった姿を見ると自然な事かもしれません。
posted by 九十九屋さんた at 08:34| 千葉 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 白澤図 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

アザエル

SS 砂漠の神

 アロンは續罪のためにヤギ2匹を用意し、その1匹を主への捧げ物とした。

祭壇を築きその上がっていた煙は神のもとへと向かっていくのだ。

 アロンはもう一匹のヤギを叩いた。ヤギは驚いて逃げたが、遠くには行かず

また戻ってくる。

 仕方なくアロンはヤギを叩いた。いったい何度叩いただろうか。それでも

ヤギは離れずアロンを見ている。

 ヤギは知っているのだ。こうして殴られたとして荒れ野に逃げるここにいる

ほうがいいことを。

 そうヤギは生きたまま荒れ野のアザゼルの元へ追いやるという形で捧げられ

ようとしているのだ。

 アロンが困りきった時、荒れ野に風が吹いた。

 風は強くアロンの周りを砂煙でふさいだ。

 狂ったようなヤギの鳴き声が響いた。

 アロンが目を開けたとき、もうヤギの姿はどこにもなった。

 アロンは自分が助かったことを主と、砂漠の神アザエルに感謝した。



〜プロメテウスの如き〜 [由来]

 アザエルと言う名には遠くに去るという意味がヘブライ語であります。しかし、これは音が似ていることから後でつけられたもののように思えます。もともとアザエルはシリアの神であり、荒れ野で贖罪のヤギを受け取る神です。恐らくヤハウエが一神教を形成する過程で、悪魔にされた地方の神なのでしょう。またアシズという神がカナンにおり、それがなまったとも言われています。

 では聖書関係では彼はどう扱われているか見てみましょう。

 アザエルは天界の第五天に幽閉されています。その理由は人に戦争の為の知識を教えたためです。なぜ、アザエルが人と接触する事になったのかというとアザエルはもともと見張りだったのです。楽園追放後の人間がさらなる罪を犯さないように神は地上に監視役の天使を置きました。アザエルを始めとする彼らはエグリゴリともウォチャーズとも呼ばれました。ところが彼らは見張りの役を果たさず美しい地上の娘たちと交渉を持ちました。その結果、天にあった神の技は地上にもたらされました。これだけなら人間にとりむしろ良好な事だと思います。ただ、彼らの子供たちに問題があったのです。彼らの子供は恐ろしく巨大でたちまちのうちに食べ物を食べ尽くし、

鳥や魚を食べ、最後には人間を食べ、ついに共食いを始めたのです。地上は阿鼻叫喚のちまたとなり、神は大洪水をおこし地上を滅ぼしました。これがノアの箱舟の背景となる辺りですね。その後、アザエル以下エグリゴリは捕えられ、天界の第五天に閉じ込められたのです。

 人に神の知識を与えたものは捕えられる。まるでプロメテウスのようですね。

  



〜冤罪?〜 [余談]

 結果は同じ物の過程でのパターンが違うものがあります。エグリゴリが地上に来る前に既に地上は悪に満ちていたというのです。むしろアザエルたちは地上の人々を啓蒙しにいったのです。そして彼らと人間との間の子は、優秀で、名高い英雄たちになったといいます。しかし英雄により、住みやすくなった世界で人が増えてしまい、

それに伴って悪が増えると結局はノアの洪水は起こるのです。

 その流れを受けたのか中世、アザエルは人間に取り付いて悪行を唆す存在になりました。しかし、多くの魔術師たちに信仰されるようになります。アザエルは神の知識を持ち、それを一度人に教えた。ならもう一度という事でしょう。確かに神の知識を得れば力が増すのなら当然のことかもしれませんが。
posted by 九十九屋さんた at 08:33| 千葉 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 白澤図 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ベリアル

SS 黒き舌

「すばらしい演説でした」

「話を聞いてこんなに感動したのは初めてです」

 講演が終わると近づいていったものは口々にこういった。

 そう、確かにその男の弁舌はすばらしいものだった。

 彼の口にかかれば、黒きものは白く、邪悪なものは善良にすらなった。だから聞いたものは等しく心を奪われる。

 だが、人々よ用心するがよい。彼の声に、理屈にどこか虚偽の、言いくるめの気配を感じないだろうか?

 今、わたしの言葉を聞き、考えなおしたものは賢明である。

 彼の、ベリアルの弁舌に惑わされえてはいけない。そう彼の言葉に耳を傾け、心を動かすこと。それは同時に一つの事実を示しているのだ。

 そう彼の言葉に従うことは支配を受けることを示しているのだ。彼は最後の審判の日に全ての地獄に落とされる不正のものすべてに対する支配権を持っているのだから。





〜この世の君〜[由来]

 ベリアルの名には様様な意味があります。『無価値』、『邪悪』、『無益』、そうした名前を与えられたベリアルはどこから来たのでしょうか?

 ベリアルはルシフェルの直後に創造されたとされ、中世においても強力な悪魔とされていました。美しさは天使の頃と変わらず物腰は優雅で気品に溢れたといいます。しかしこれほど放埓で、悪徳そのものの魅力にとりつかれたものはないといいます。ソドムを始め、ベリアルを信仰するものは多くとも、その祭壇を作る勇気のあるものはなかったといいます。

 そのようなポジションを与えられた理由の一つが新約聖書にあります。コリント人への第二の手紙の6−15に『キリストとベリアルに何の調和があるでしょう』と、救い主に対抗する存在としてその名前は書かれています。そのためベリアルはサタンの一面と考えられました。この世の君と呼ばれるのもその現れでしょう。



  

〜ソドムの魂〜[余談]

 外典の中には、ベリアルがユダヤのマナセ王に取り付き、父親が改宗していたユダヤ教を捨てさせた話があります。その結果偶像崇拝が蘇り、都は荒廃しました。宮殿は荒廃し、人倫は乱れたといいます。

 ベリアルの政策がもっともうまくいったのはソドムの町です。死海のほとりにあったこの町では悪徳がはこびリ、男色や、獣姦がはやったといいます。このためソドムの町は火と硫黄で滅ぼされたといいます。

 10世紀以降、法律が整備されてくるとベリアルがキリストに対し、訴訟を起こした物語が伝わってきます。その告訴の理由はキリストが地獄の権利を侵犯したというものです。これは神の領域は天界であり、この世と地獄は悪魔のものであるという話が前提にあります。この世は悪魔の領域であるのに、キリスト教に改心させたキリストはけしからというわけです。さて、裁判の結果ですが、キリストは無罪。しかしベリアルはただでは負けず、最後の審判の日に地獄に落とされる不正なもの全てに対する支配権を勝ち取ったのです。

 ベリアルに関してもう一つ伝承を。ソロモン王は悪霊であったベリアルとその軍勢52万2280人を瓶の中に閉じ込め、バビロンの井戸の中に沈めたといいます。バビロンの人々は後に、そこに宝があると思い瓶を開けてしまいました。そしてベリアルは開放されました。ベリアルはそれから閉じ込められないように偶像や、人の中に入って閉じ込められないようにしたそうです。なんかパンドラっぽいですね。
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サタナエル

SS 人という殻

 そこは古びた教会だった。

 見捨てられ、歴史の中に沈んだ教会。かつてこのような会話が

なされていた。

[神に逆らい失墜した天使サタナエル、共に落ちたものたちを見ながら語る。

「私の住む世界を作ろう。神が天地を創ったように、わたしは第二の神として

第二の天を創ろう」]

 その日は暗き祝福のうち始まった。その第二の天とは何れか?

「それがこの世なのだ」

「でも我々は罪を犯したにせよ、神に祝福され生まれた」

[サタナエルは人を造った。しかし、その指の先から生命は蛇の形となって

流れ人の身体をなすことはなかった。サタナエルは困惑し、父なる神に助力を

こうた]

「そして人は生まれた」

「神と悪魔は取引をした結果が我々」

「神はサタナエルと共に失墜した天使の補充として人を望んだ」

「では我々は?」

「そう天使にもなれる資質を我々は秘めているのだ。同じように悪魔となる資質も含めて」

「それが貴様らのいう人の行く末なのか?」

「さあ。我々に神があるように、イスラムにも、東洋にも多くの神がいる。その神々はどこで何をしたか我々は知らぬ」



〜双子のキリスト〜 [由来]

 サタナエルはキリスト教の異端ボゴミル派に登場する悪魔です。なぜ、ボコミル派が異端とされたかというと、地上はサタナエル(神の敵)により造ったと教えたからです。そして世界は神と悪魔の対立の中で、存在しているという、神の力を絶対とするローマをはじめとする正派の教えからすれば、とんでもないことです。通常三位一体といえば神と聖霊とキリストですが、ボゴミル派では、神とキリストと悪魔としています。永遠を神、天界はキリスト、そして地上を悪魔が支配しているというのです。

 サタナエルはサタンから派生した名前と言われています。エルは神を示す言葉であり、サタナエルは神の資質をもった悪魔といえます。もともとは神の右脇に座り、イエスの兄として神を補佐をしていたのも当然といえましょう。

 

〜救いはあるのか〜 [余談]

 何か憂鬱な世界観ですが、これもまた神が創ったはずの世界に多く存在する矛盾をどうにか納得させるために出た考えといえましょう。

 ボコミル派の教えはグノーシス派(注1)の影響をつよくかんじます。この物質的世界が悪魔の支配化にあるのは、ソフィア神話を思い出させますね。そこでも世界の不確かさは悪魔(地上の王)の為とされていましたね。

 ボゴミル派では神は聖霊を生み出し、現在の三位一体を作り出し悪魔を世界の柱から外します。ついで子であるキリストにより悪魔の正体を暴きました。

 そして現在、肉体という悪魔の檻から脱出できるれば、人はキリストの側に立ち、サタナエルは神の象徴であるエルを失い、ただのサタンとなり、世界は完全なものになるのです。



 注1

 紀元前地中海におこった宗教思想運動。様様な宗教などを研究、比較し、『人間を救済する智識』というスタンスにたって広がった。ここでさすのは人間はもともと神と対等の存在であり、肉体(物質的世界)に閉じ込められているという考え方。その原因はソフィア(霊智)という存在が渾沌に映った姿が残ってしまったのが物質的世界であるというのがソフィア神話である。

 その考えによると旧約聖書に登場する神こそが人間が智識を獲得するのを邪魔した悪魔であり、人間の霊的進化を妨げているという。人に智識を与えた蛇は当然、よきものとされる。

 ただ、グノーシス主義は四世紀には消え、正確な考え方はばらばらですのでこれ以外の解釈をしているのもあるでしょう。
posted by 九十九屋さんた at 08:20| 千葉 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 白澤図 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年05月04日

アスモデウス

SS 魔術の師匠

「私が魔術を使えるようになった理由ですか?。あれは15歳の時に好きなオンナノコを尋ねていったときなんですよ。何か雨が降ってきたんです。濡れてしまったからもうそのままでいいと思って歩いていると、雨が止んでいる一角があったんです。そして近づいていくとそこには化け物がいたんですよ。3つ頭、それも雄牛と人間と羊だし、それも口から漏れる火と雨で湯気がもくもくでてるし、身体もよくは見えなかったけど大きかったし。びっくりしたんですけど、その目を見ている先が自分の好きな子の家だったんですよ。だから私はもう怖いのも忘れてその化け物の前に立って彼女を守ろうとしたんです。そしたらその悪魔は聞くんですよ。『あの女が好きか?』って。『そうだ文句あるか』って答えたら悪魔はすごい顔でこっちを見ましたね。もう殺されるかと思ったら、彼女が家から出てきたんですよ。貴族らしいいい男を連れて。悪魔は男に襲い掛かるとたちまちふっとばされてしまったんです。彼女は傷一つついてないです。それを見て私は思いだしたことがあっていったんです。『アスモデウスさまですか?』って。そしたらいろいろな事を教えてくれて魔法の指輪までくれたんです。多分、横恋慕しているところを見られて恥かしかったんじゃないですかね」



〜好色といわれて〜 [由来]

 アスモデウスはイランのシャーナーメに出てくる悪神の手下アエーシャマがなまったものといわれています。その意味は激怒や、情欲という意味です。

 これがキリスト教に吸収されて、こんなエピソードになりました。

 ある街にサラという美しい娘がいました。サラは年頃になり、結婚しましたが、その初夜の晩に新郎は急死してしまいます。そんな事件が二件三件と続き、七件を数える頃にはサラは悪魔つきの女とされていました。街に二人の若者がつきます。トビアとアザリアです。アザリアはトビアにサラを妻として迎えることを提案します。トビアは自分が一人っ子であることをかさにその提案を受けません。アザリアは香炉に魚の内臓をいれたものをいれておけば問題ないといい、トビアはしぶしぶそれに従い、香炉を持ち、サラの部屋で過ごそうとします。香炉の煙が部屋に広がった頃、何か黒い影が部屋から逃げ出します。それがアスモデウスでした。逃げるアスモデウスは追いかけてきた人間に気付きます。それはアザリアでしたが、みている間にその姿は天使ラファエルとなり、アスモデウスは捕まえられてしまうのです。

 でも、それだけの魔力がありながら、彼女に手を触れなかったのは不思議なことですね。

 

〜秘術の伝導者〜 [余談]

 アスモデウスは上記のような振る舞いから好色な存在と思われていますが、側面を見逃してはなりません。

 そうアスモデウスは膨大な智識、多くの秘術を知る存在なのです。もし彼にあって丁寧にお願いしたならば、幾何学や、力学、算術といった学問や、その能力である宝物を探す能力により、失われた知識や、財物を手に入れることができるかもしれません。それを知られているせいか、アスモデウスはソロモン王に囚われた話が伝わっています。

 ソロモン王は宮殿を作るために奇跡の石『ジャミール』を必要としていました。多くの悪魔を捕え尋ねると口々に『アスモデウス様ならご存知です』と答えるのです。そこでソロモン王はアスモデウスの良く使う泉の水を酒に変え、酔いつぶれさせ捕えます。そして『ジャミール』はソロモン王のものになったのです。これには後日談があり、ソロモン王をだまし、魔神を操る魔法の指輪を手にいれ、王を宮殿から追い出したといいます。結局ソロモン王は戻ってくるのですが、だましだまされるその様子はちょっとほほえましいですね。

 ちなみにアスモデウスは完全な悪魔というわけでなく、圧制をした王の娘に取り付き、政策を変えさせた記録も残っています。

 彼はよい堕天使なので、くれぐれも出会ったときは笑顔で対応しましょう。
posted by 九十九屋さんた at 09:57| 千葉 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 白澤図 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ルシファー

SS インタビュー

「始めましてルシファーさま」

「うむ。ダンテ以来の生あるものの来訪だからな。歓迎するぞ。」

「ありがとうございます。まず、あなたが堕天した理由をお聞きしたいのですが」

「神に反抗したかった」

「うむうむ」

「人類が憎かった」

「うむうむ」

「罪を清める場所を作るためだ」

「はあ」

「神の計画の一部さ」

「え・・?。矛盾してますね?」

「好きなものを選んでくれと言っているのだ」

「それまた随分無責任な」

「無責任ではないよ。我々も神も見るものがいるからこそ様様な事象を招く」

「つまりは全ては人間の意向だと」

「私自身言えるのは暁に光る星を見て君がどう感じるかということだけだ」

「つまりあなたはわれわれ人間の鑑だと?」

「それもまた君たちが決めることだ」



〜そは暁の星〜 [由来]

 ルシファーは暁の星と言われています。この名前には光をもたらすものという意味のラテン語で『光を掲げるもの』という意味で、「明けの明星」、金星の事を示しています。

 名前から分かるようにルシファーは天界で最高の地位にあるものでした。そんな彼がどうして堕天使と呼ばれるようになったか。それは傲慢の罪であったといいます。神の座の右側に座ることを許されていたルシファーは自らがその座につきたいと、傲慢の罪を覚え、地上に落とされたのです。

 何かすっきりしないでしょ?。実はこのルシファーと神の関係はある神話の焼き直しといいます。それが双子神と太陽神といわれる話です。

 明けの明星の神は太陽の神に成り代わることを考え、太陽の神に戦いを挑むのですが、敗れ天界から落とされるのです。弟の暮れの明星の神はそのまま天界に留まり太陽の神に仕えたといいます。これがキリスト教にも残り、ルシファーとミカエルは兄弟という設定となっているのです。

 赤い身体に、黒いこうもりの翼という現在のデザインに変化したのは1100年代で、もともとは天使の姿だったんですね。



〜サタンとルシファー〜 [余談]

 悪魔の王がルシファーであると始めてきいた時、あれって思いませんでした?

自分は何かサタンがトップだと思っていて最初ルシファーの名前を聞いた時は違和感がありました。

 なぜ、サタンがルシファーと同一視されたのかというと『ルカによる福音所』の中にルシファーがおちていく画面を、「サタンが稲妻のように天界から落ちていくのを見ていた」という記述があります。この言葉が旧約聖書にあるサタン(敵対者)の事とされ、二つは同一視されたのです。

 とはいえ、サタンはもともと悪の首領などではなく、神に許される範囲で人間に苦難を与える存在でした。それがここまで強力な存在になったのは神が強力になったせいです。神が絶対の力を持つにも関わらず、世界は悪に満ちています。その神に対抗するためには悪もまた力を大きくしなければならなかったのです。

 これはグノーシス教に被れたようにとられるかもしれませんが、人間が智恵の実を食べたのは蛇=ルシファー(サタン)の誘惑の為といわれています。彼が明けの明星と呼ばれるのは人間の目覚めという暁をもたらしたせいかもしれません。
posted by 九十九屋さんた at 09:54| 千葉 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 白澤図 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

レブナン

SS 帰りしもの

 彼女が亡くなってから10日が過ぎていた。涙は止まった。生活は日常に戻った。

 それでも折に触れ彼女を思い出す。

 階段の踊り場、図書館の自習机、マックの片隅、ベットの上。もう彼女は日常の一部になっていた。

 仕事のため、こうしてキーボードを叩いていると、彼女は僕から少し離れたところに座ってじっとしていた。

 視線に気付き、振り返ると彼女は相手をしてもらえずにすねているイヌのような目でこっちを見ていた。眼があうとどちらともなく真剣な顔でにらめっこ。

 二人とも笑って、僕は仕事を辞め、彼女と戯れたものだった。

 今となってはかけがえない記憶。

 メガネを外し、顔に触れると涙が滲んでいた。

 日常は戻ってなどいない。今あるのはただ涙の上に浮かんだ小さな埃のようなもの。

 涙を拭っていると視線を感じた。

 振り返ったそこには彼女の姿。

 昔と同じ相手をしてもらえないイヌのような寂しそうな瞳。

 言葉にならない言葉。彼女はもういない。死んだ。そう思っても僕は彼女に近づき抱きしめた。



 

〜黄泉帰(よみがえ)りしもの〜[由来]

 レブナンは黄泉からの帰還者です。フランス語のレブニール(再び来る)が語源といわれています。

 レブナンは自分が犠牲者や加害者だった場所にずっと残り、永遠に残る地縛霊のようなものです。犠牲者は己の不運を嘆くあまり、加害者はその呪われた所業の為に安らぐことができないのです。

 またレブナンにはもう一つの側面があります。自分の存在が生きているものの記憶から薄れ、忘れ去られそうな時、様様な方法で、精力的に行動します。なかなかメッセージに気付かれない場合、こちらが損害を受けるような、事故や病気のような事を起こすので注意が必要です。



〜死の国より〜 [余談]

  最初にレブナンの事を知った時思い出したのは牡丹灯篭でした。これは愛する男を思うあまり、娘が黄泉より帰り、男を取り殺すという話です。もともとは中國の『剪燈新話』の翻案でこれもまた古い話を補ったものといいます。しかしこの話は大抵悲劇に終わります。世界が違うものを交わるとそこには不吉なことばかりが起こるのです。この話の古い形はイザナギがイザナミのところにいく話や、ペルセポネや、オルペウスの話のように悲劇のうちに終わるのが、運命なのかもしれません。

 最近ではこのような死者と生者のまつわりを示した話としては坂東真砂子の『死国』があります。この物語もまた、悲しい空気の中で話が進んでいきますが、ビデオや小説も割合に手に入りやすいので良かったらごらんください。

 では、不幸にならない話はあるのかというと、『聊斎志異』の中に見る事ができます。それによると死者とはらだ生者より陽の気の足りないだけの人間なので子供すら作ることができるそうです。だから中國人口多いんですねきっと(笑)
posted by 九十九屋さんた at 09:50| 千葉 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 白澤図 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする