そこは古びた教会だった。
見捨てられ、歴史の中に沈んだ教会。かつてこのような会話が
なされていた。
[神に逆らい失墜した天使サタナエル、共に落ちたものたちを見ながら語る。
「私の住む世界を作ろう。神が天地を創ったように、わたしは第二の神として
第二の天を創ろう」]
その日は暗き祝福のうち始まった。その第二の天とは何れか?
「それがこの世なのだ」
「でも我々は罪を犯したにせよ、神に祝福され生まれた」
[サタナエルは人を造った。しかし、その指の先から生命は蛇の形となって
流れ人の身体をなすことはなかった。サタナエルは困惑し、父なる神に助力を
こうた]
「そして人は生まれた」
「神と悪魔は取引をした結果が我々」
「神はサタナエルと共に失墜した天使の補充として人を望んだ」
「では我々は?」
「そう天使にもなれる資質を我々は秘めているのだ。同じように悪魔となる資質も含めて」
「それが貴様らのいう人の行く末なのか?」
「さあ。我々に神があるように、イスラムにも、東洋にも多くの神がいる。その神々はどこで何をしたか我々は知らぬ」
〜双子のキリスト〜 [由来]
サタナエルはキリスト教の異端ボゴミル派に登場する悪魔です。なぜ、ボコミル派が異端とされたかというと、地上はサタナエル(神の敵)により造ったと教えたからです。そして世界は神と悪魔の対立の中で、存在しているという、神の力を絶対とするローマをはじめとする正派の教えからすれば、とんでもないことです。通常三位一体といえば神と聖霊とキリストですが、ボゴミル派では、神とキリストと悪魔としています。永遠を神、天界はキリスト、そして地上を悪魔が支配しているというのです。
サタナエルはサタンから派生した名前と言われています。エルは神を示す言葉であり、サタナエルは神の資質をもった悪魔といえます。もともとは神の右脇に座り、イエスの兄として神を補佐をしていたのも当然といえましょう。
〜救いはあるのか〜 [余談]
何か憂鬱な世界観ですが、これもまた神が創ったはずの世界に多く存在する矛盾をどうにか納得させるために出た考えといえましょう。
ボコミル派の教えはグノーシス派(注1)の影響をつよくかんじます。この物質的世界が悪魔の支配化にあるのは、ソフィア神話を思い出させますね。そこでも世界の不確かさは悪魔(地上の王)の為とされていましたね。
ボゴミル派では神は聖霊を生み出し、現在の三位一体を作り出し悪魔を世界の柱から外します。ついで子であるキリストにより悪魔の正体を暴きました。
そして現在、肉体という悪魔の檻から脱出できるれば、人はキリストの側に立ち、サタナエルは神の象徴であるエルを失い、ただのサタンとなり、世界は完全なものになるのです。
注1
紀元前地中海におこった宗教思想運動。様様な宗教などを研究、比較し、『人間を救済する智識』というスタンスにたって広がった。ここでさすのは人間はもともと神と対等の存在であり、肉体(物質的世界)に閉じ込められているという考え方。その原因はソフィア(霊智)という存在が渾沌に映った姿が残ってしまったのが物質的世界であるというのがソフィア神話である。
その考えによると旧約聖書に登場する神こそが人間が智識を獲得するのを邪魔した悪魔であり、人間の霊的進化を妨げているという。人に智識を与えた蛇は当然、よきものとされる。
ただ、グノーシス主義は四世紀には消え、正確な考え方はばらばらですのでこれ以外の解釈をしているのもあるでしょう。
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