2005年05月04日

レブナン

SS 帰りしもの

 彼女が亡くなってから10日が過ぎていた。涙は止まった。生活は日常に戻った。

 それでも折に触れ彼女を思い出す。

 階段の踊り場、図書館の自習机、マックの片隅、ベットの上。もう彼女は日常の一部になっていた。

 仕事のため、こうしてキーボードを叩いていると、彼女は僕から少し離れたところに座ってじっとしていた。

 視線に気付き、振り返ると彼女は相手をしてもらえずにすねているイヌのような目でこっちを見ていた。眼があうとどちらともなく真剣な顔でにらめっこ。

 二人とも笑って、僕は仕事を辞め、彼女と戯れたものだった。

 今となってはかけがえない記憶。

 メガネを外し、顔に触れると涙が滲んでいた。

 日常は戻ってなどいない。今あるのはただ涙の上に浮かんだ小さな埃のようなもの。

 涙を拭っていると視線を感じた。

 振り返ったそこには彼女の姿。

 昔と同じ相手をしてもらえないイヌのような寂しそうな瞳。

 言葉にならない言葉。彼女はもういない。死んだ。そう思っても僕は彼女に近づき抱きしめた。



 

〜黄泉帰(よみがえ)りしもの〜[由来]

 レブナンは黄泉からの帰還者です。フランス語のレブニール(再び来る)が語源といわれています。

 レブナンは自分が犠牲者や加害者だった場所にずっと残り、永遠に残る地縛霊のようなものです。犠牲者は己の不運を嘆くあまり、加害者はその呪われた所業の為に安らぐことができないのです。

 またレブナンにはもう一つの側面があります。自分の存在が生きているものの記憶から薄れ、忘れ去られそうな時、様様な方法で、精力的に行動します。なかなかメッセージに気付かれない場合、こちらが損害を受けるような、事故や病気のような事を起こすので注意が必要です。



〜死の国より〜 [余談]

  最初にレブナンの事を知った時思い出したのは牡丹灯篭でした。これは愛する男を思うあまり、娘が黄泉より帰り、男を取り殺すという話です。もともとは中國の『剪燈新話』の翻案でこれもまた古い話を補ったものといいます。しかしこの話は大抵悲劇に終わります。世界が違うものを交わるとそこには不吉なことばかりが起こるのです。この話の古い形はイザナギがイザナミのところにいく話や、ペルセポネや、オルペウスの話のように悲劇のうちに終わるのが、運命なのかもしれません。

 最近ではこのような死者と生者のまつわりを示した話としては坂東真砂子の『死国』があります。この物語もまた、悲しい空気の中で話が進んでいきますが、ビデオや小説も割合に手に入りやすいので良かったらごらんください。

 では、不幸にならない話はあるのかというと、『聊斎志異』の中に見る事ができます。それによると死者とはらだ生者より陽の気の足りないだけの人間なので子供すら作ることができるそうです。だから中國人口多いんですねきっと(笑)
posted by 九十九屋さんた at 09:50| 千葉 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 白澤図 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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