2005年05月04日

餓鬼

SS 六道の回り逝く先

 どうしてこんな事になったのか?

 俺は時折蘇る意識の中で周りを見た。

 腹が膨れ上がり、体中が乾いたようになってやせ細った人間が歩いている。醜悪なその姿。だが、俺自身の姿もそうなっているのだろう。

 俺は死んだのだ。では、ここは地獄なのだろうか?

 分からない?。分かっているのは俺は空腹なだけだ。

 生きていた時の自分を思う。

 他人を妬み、他人を謗った結果がこれなのか?

 人なら誰でもそうする行為なのではないのか?。上を目指すためにたまった

膿みを吐き出すようにする事、それは罪というのか?。

 意識が途切れ、はじめる。そして俺もまたその流れの中に戻っていくのだ。

 俺は何をしたのだろう。その思考もまた飢えの海に消えていく。



〜六道の回り逝く先〜 [由来]

 餓鬼がいる餓鬼道は現世で欲の深かった者が死後に行くといわれる所です。ここに落ちた亡者は飲食できず、つねに飢えとかわきに苦しむといいます。

 六道の中では、天、人、修羅の3つを善三道、地獄、餓鬼、畜生を悪三道といいます。

 仏教では六道から抜けることが本来の目的なので、その視点から見たら今生きている人道もまた迷いの中なのでしょうが。

 餓鬼道がどこにあるかというと500由旬(1由旬は14.4Kmまたは7Kmと言われる)地下にあるといいます。ちなみにそこには夜叉や羅刹も住んでいるといいます。別の話では地下世界にはナーガが住んでいるともいうので、地下は何層にも渡って別の世界があるのかもしれません。





〜餓鬼のいろいろ〜 [余談]

 餓鬼にはいろいろな種類があります。上記の短文にあるような極端に膨れ上がった腹と、枯れ枝のような手足と首、黒ずんだ皮膚という姿は基本ですが、その種類はいろいろです。それをいくつか紹介することにしましょう。

[1]希望(けもう)

人が一生懸命働いて得たものを横取りしたものがなります。人が墓に備える供物だけを食べて生きています。

[2]食気(じきけ)

家族を餓えさせておいて、自分だけおいしいものを食べていたものがなります。水域に面した森の祠の供物の臭いだけで生きていかなくてはなりません。

[3]食法(じきほう)

破戒僧の慣れの果てです。表立ってすばらしいことをいっていても裏で様様な悪行にふけっていたものがなります。色は黒く涙を流しつづけます。人通りの無い場所にいて、近くの寺で真の説法がされたときのみ餓えが薄れます。

 餓鬼は実体があるようなないような微妙な存在です。もし人間についたら際限なく食べ物を食べようとして人間をおかしくしたり、様様な欲望(際限の無い)を果たそうとします。待っているのは破滅です。

 しかし、その要素をもっていない人に餓鬼はつけませんから皆さんはだいじょうぶですよね。自分結構、思い当たる節があるんですが(笑)

 餓鬼を主題にした作品ですと夢枕獏の『餓鬼魂』がお勧めです。
posted by 九十九屋さんた at 09:48| 千葉 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 白澤図 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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