2011年01月06日

天に七星 地に七草

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SS 鬼の焼き餅
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 少年は戦いの終わりを感じていた。
 初めて来たときは、決して自分などでは対抗できぬと
思われた牙城。巣くうのは人間などでは決して対抗できぬと
思われた多くの鬼。
 今では鬼は倒れ、鬼ヶ島の所々から火があがっている。
 あれほどの強大な敵を倒せたのは自分だけでなく、
三体の従者によるものだ。彼らは陸海空を制し、その力が
なければ自分は勝つことはできなかっただろう。
 彼らにせめてもの礼と思い少年は七草粥を作り始めていた。
 彼らは羽ばたき、地を駆け、木々の間を跳ね戻ってくる。
「お腹がすいてしまいました」
「もう腹ぺこで動けない」
「背中と腹がくっつく」
 三者三様の言い方だったが、示している事は一緒でした。
「黍団子をください」
「もう黍団子はないのだ」
 三体の従者の顔色が変わります。彼らは一皮むけば獣なのです。
その獣と変わった彼らをとめるのには食べ物が必要でした。
「コメがあるから今粥を作るから」
「粥なんてくえるかキー」
 先程まで人めいていた言葉もどこかおかしくなってきた
気がします。 
「餅を見つけたぞ」
 従者の一人が餅を見つけてもってきました。
「堅い餅なんてとんでもない。俺は柔らかいのがいいんだキー」
 その辺りの火にくべて、従者たちは餅を食べ始めました。
「こうすれば直ぐに柔らかくなるから」
 三体の従者は焼き餅を奪いようにして食べました。
「く、苦しい」
 食べ過ぎたのか従者たちはうめき始めます。そう鬼の火は恨みで
燃えていて、その火を帯びた餅は邪気をはらんでいたのです。
「助けてくれ」
 少年はあわてて粥を飲ませます。
 すると従者たちは静かになりました。
「どうしたんですか」
「七草粥には邪気を払う力があるのだ」
 その話は後に広まり、七草粥を食べるようになったそうです。

 


 あけましておめでとうございます。
 お正月はいかがだったでしょうか?
 おせちやお雑煮はいただきましたか。食べすぎたりしてはいませんか。そんな時は、七草粥を食べるのはいかがでしょう。

 七草粥といいますが、なぜ七草を刻んで食すかというと、これは中国で生まれた発想なのです。
 人間には三魂七魄(3つの陽に属するたましいと、7つの陰に属するたましい)があり、天では七星(曜)として現れて、地では七草となります。その七草を食べれば、その年は四季の病に犯されないというのです。
 もともと七草でなく、七穀だったといわれていますが、廃れてしまい七草になったといいます。廃れたと言えば七草も七穀の伝承も、現在、中国ではなくなってしまったそうです。
 日本の伝説では、昔鬼ヶ島で鬼を退治した(はっきり伝わっていませんがおそらく桃太郎ではないかと)ものが、鬼の骨を焼いた火で餅を焼き食べたところ、鬼の恨みの火のせいか、咽につまり他界しかけました。その時に、七草粥を食べて、餅を流して助かったからといいます。七草に浄化の作用があると思われていたのでしょう。
実際、七草粥は冬場の青物の少ない時期に野菜を食べ、また不足しがちな栄養を補給できるので、体にいいことがわかっています。

 そんな七草粥を作る時に、七草を刻みながら歌うのをご存じでしょうか。その歌詞はいろいろですが、東葛地域にはこんな歌が伝わっています。

七草の なずな 
唐土の鳥が
はんどの鳥と
西方の鳥の 
渡らぬ先に
トトンガ トン


 ちょっと不思議な歌だと思われませんか?
 (これは地元ので地域によっていろいろです)


 さて、歌詞の意味ですが、ここで語られる鳥は唐土(とうど)をはじめ、日本にいない鳥だと思ってもらえればいいでしょう。鳥というのは、風に乗り、運ぶものという象徴を持っています。そのためいつの間にか訪れる疫病を象徴しているともいわれます。その鳥を七種の菜をうつ音で追い払う、またはこないようにしてしまおうという意味です。具体的に正月7日には唐国の鳥である鬼車鳥(きしゃちょう)が多く出て、家々の戸をたたく話もありますから、対策は万全にということでしょうか。
 
 鬼車鳥とは、五嶺の外れにいるという、アヒルに似た鳥です。ただし、色は赤くて、九つの首を持つといわれています。春夏の間は、薄暗いうちに、鳴きながら飛びます。もともと頭は10あったのですが、そのうちの一つを犬に噛まれて失っていて、傷口から血を流し続けています。こっそり人家に入り、人のたましいを食べるというのです。また、この血をたらされた家は不幸になるといいます。
 車というのと、輪というのが自分の中で連想されたので、なんとなく円盤系の飛行物体をちょっと想像してしましまいました。
 日本では、この血は毒といわれ、子供の乾いた着物にかけていくといいます。知らずに着ると疳の病をわずらうといいました。
 正月七日だけしかこないなら、これといって心配のないと思われるかもしれませんが、夜切ったつめを外に食べにくるという話もあるので注意したほうがいいかもしれません。

 実際この得体の知れない鳥はフクロウではないかといわれています。フクロウは昼は眠っており、晩になると飛び立ち、ネズミやウサギといった獲物をとります。その様が古人にとって不思議だったのでしょう。

 ところがこの鬼車鳥は、姑獲鳥というまったく別の妖怪だという話も江戸時代に言われるようになりました。


 姑獲鳥(こかくちょう)は、夜に飛びまわるとされ、鳥の姿をしていますが、羽毛を脱ぐと女の姿になるといわれました。夜行遊女とも、天帝少女とも呼ばれたといいます。白鳥の湖のオデット姫を思い出す美しい幻想ですね。
 しかし、正体は死んだ産婦の霊とされました。そのため、人間の子を攫い、育てます。その時の目印が、子供の衣服につける血とされました。この辺りから鬼車鳥との混同がされていったのかもしれません。
 姑獲鳥という文字は、京極夏彦さんの小説『姑獲鳥の夏』で、有名になったと思います。この物語では姑獲鳥と書いてうぶめと読んでいます。

 うぶめは産女と書きます。子供を持ったまま亡くなった霊がうぶめになるといいました。雨の降る夜に燐火を伴った鳥か、足元が血でぬれた女の姿をとります。また、人に会ったら子供を預けます。子供はだんだんと重くなりますが、持って耐え切ると、石塔や木の葉、岩へと姿を変えます。
 そんなうぶめが安産の神様になる場合もあります。室町時代、鎌倉の大巧寺の日棟上人が滑川の橋を渡ると子供を抱いた女がいました。女は告げます。「川の水が血で汚れて渡れません。それにややが乳を吸い苦しいのです」。上人が経をあげると女は姿を消しました。数日後、見違えるように美しくなった女が現れ、塔を建ててお産に苦しむ人を救ってほしいと言ってお金を手渡しました。上人は女を産女霊神(おんめさま、おんめ様)として寺に祭りました。

 子供を人に渡したり、経を上げてもらうのも、一人で抱えきれない命の重さを、数人で分かちあえば支えられるという象徴なのかもしれません。
posted by 九十九屋さんた at 16:34| 千葉 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | コラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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