2011年07月26日

幽霊と返魂香

 円山応挙は一夜の宿を新河岸の南、行徳の地に求めた。行徳には何件かの宿があり、泊まった宿を信楽という。深夜、起き上がった応挙は、外に出るとそこには女の幽霊がいた。幽霊は応挙を残し、闇の中に消えていった。
 朝になって、その事を信楽の者に告げると、病の家人が、客に迷惑をかけぬように、夜中に起き上がったという。

 この一件を元に、絵を描きあげたのが、市川の徳願寺にある幽霊画とされています。この絵はとある華族の元にあったのですが、その後何件かの商人の手を経て、徳願寺に伝わりました。その間に、様々な不幸があったといいます。

 さて、円山応挙が、足のない幽霊を描いたのが、幽霊画の転換になったといいます。その後、幽霊の絵といえば足のないものとなりました。応挙は、写生を良くし、写実的な絵を描いた人として知られています。 
 応挙の画で有名な幽霊図といいますと、お雪の幻という作品です。これは応挙が亡くなった妻の姿を元に描いたものとされます。妻の姿は、障子の向こう側に立ったものとされます。ちなみに亡くなった後に思い出して描いたものです。応挙の絵には、『龍門鯉魚図』という鯉が滝を登る絵があります。しかし、その絵には水は描かれていません。しかし、描かれない事で、滝を登る鯉の姿を描いています。同じように、幽霊もまた、一部を描かない事で、この世の者でないのを示そうとしたのではないでしょうか。どうして足がないとこの世のものではないか?

 
 それは返魂香によるものです。
 北方に佳人有り、世に絶えて際だち、一たび顧りみれば城を危うくし、再び見れば国を危うくす。
 中国の武帝に愛された李夫人の事です。実際、李夫人は、容姿優れ、賢い人でしたが、妲己のように国を傾ける事はありませんでした。
 李夫人は美しく歌舞にも長じ、武帝との間に子供をもうけました。寵愛を受けながら、李夫人は増長することはありませんでした。その為武帝はますます彼女を好みました。しかし、李夫人は病に倒れ、そのまま亡くなってしまいます。
 武帝は李夫人が亡くなった後、壁に彼女の絵を飾らせ、偲びましたが、どんなに素晴らしくても絵です。
 そんな時、一人の術士が死者を呼べると聞きます。術士は武帝の言葉を聞き入れ、深夜玉の釜で作り上げた精錬した返魂香、金の香炉で炊き始めます。
 香りに呼ばれ、煙の中、確かに見えるのは李夫人の姿です。その姿にたまらず声をかけます。しかし、その瞬間、李夫人の姿はかき消えたのです。
 返魂香は武帝の悲しみを深くしただけでした。


 この煙の中、姿を現す李夫人の姿。その絵は多く描かれており、その足下を煙で隠しているのが、描写として定着しています。煙の中に現れる李夫人は幽霊といえます。足のない幽霊のモチーフになったといえます。ちなみに返魂香は、病を持つものなら直ぐに癒え、死者も三日目までなら蘇り、死者もその煙の中に姿を見せるとされる霊香と言われます。



徳願寺
http://www.city.ichikawa.lg.jp/gyo01/1111000108.html
posted by 九十九屋さんた at 12:45| 千葉 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | コラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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