2008年12月13日

土蜘蛛考

土蜘蛛の姿 

 土蜘蛛は鬼の顔、虎柄の胴体に長い蜘蛛の足。鬼の顔をした妖怪と言われます。別名、八握脛とも言われます。その大きさは別名から想像される通り、かなり大きいです。深山に住んで、蜘蛛の糸や巣に絡めた旅人たちを食べたと言います。

源頼光の遭いし土蜘蛛

 ある時、源頼光は病気で伏せっていました。
 頼光といえば、武勇に優れた源氏の中でも、名の知れた英傑ですが、人の子であることに変わりはなく、病には勝てません。そこへ召使いの胡蝶が、薬をもって訪れます。ところが病は治るどころひどくなっていきました。
 夜も更けた頃、頼光の部屋に見知らぬ法師が現れます。不審に思った頼光が法師をよく見ると、正体が明らかになります。それは蜘蛛の化け物でした。蜘蛛は糸を放ち、頼光をがんじがらめにしようとします。頼光は、名刀膝丸を抜き、切りつけました。法師はたちまち姿を消してしまいました。
 騒ぎを聞きつけた頼光の郎党が駆けつけます。頼光は何があったかを語り、逃した蜘蛛の化け物を退治するように命じます。
 郎党が、化け物の血をたどっていくと、古塚にたどり着きます。壊すと、その中から現れたのは土蜘蛛の精でした。そして・・・

 今年の9月、市川の中山法華経寺で中山薪能がありました。今回で4回目を数える中山薪能ですが、三年ごとに行われるので、ご存じない方もあるかもしれません。
 今回、その演目の中に『土蜘蛛』というものが含まれています。演じる方や、演出などによって、変わりますが、おおよそのストーリーが上のものです。ただ、典型的な勇者の怪物退治と思われるかもしれませんが、この土蜘蛛、そうシンプルな存在ではないのです。

自証院の土蜘蛛

 自証院は闇に覆われていた。
 時刻は夜、新月で星明かりだけが差し込んでいる。このような刻限、まして寺社の中であるというのに、歩いていく女の姿があった。
 旅人であるのか、笠を差し、手には杖が見える。
 女の姿が不意に消えた。そうではない。大木にその身体は幾重にも重なり、紐にまかれ、引っ張りあげられていた。
 しかし、女は騒ぐ様子はない。まるで、何かを待つようにそのままだ。
 枝の一本が女の足に押さえられしなった。刹那、女は跳んだ。白刃が閃いた。紐は切り裂かれ、女には自由が戻った。そのまま、女は紐の元に向け、刃を突きつけた。
 稲妻のような突き。
 血が月光の中、舞う。
 何かが大木の上から落ちた。女もそれを追い、地面に飛び降りる。
 笠が転がった。
 女ではなかった。小柄で、よく整った顔に薄化粧をしているが、それは紛れもない武者だった。名を渡辺綱といい、源頼光の四天王だ。
 綱はたいまつを手に、流れ落ちた血を追い、闇の中に進んでいった。

 自証院は現在の新宿にあります。新宿は名の如く、東京の歴史でいえば新しい街です。『野暮と化け物は箱根から先』と江戸時代に言われましたが、昔はそうでもなかったようです。
 ところで、その退治された土蜘蛛の住居から水が湧き、「くも井」と呼ばれました。そのわき水を飲んだものは呪われて、死んだものもあったといいます。その「くも井」の側に坂があり、「蜘蛛切り坂」と呼ばれました。
 自分も行った事があるのですが、普通の坂で、そういうことがあったとは思えませんでした。実はいったときはそういう伝説があったと知らず、今回調べていて、通りかかったのを思い出したくらいなので。

 2つの話を紹介しましたが、手傷を負わせたものの、その場で倒しきれる事ができず追った設定になっているのは、土蜘蛛ものの定番のようです。
 最初に能を中心とした話。続いて実際に伝わっている伝説を話しましたが、決定版ともいえる物語があります。源頼光と渡辺綱が土蜘蛛を退治した『土蜘蛛草紙』といわれるものです。
 『土蜘蛛草紙』は関西を舞台としているものです。勿論物語ですので、作られたものです。土蜘蛛だけではなく妖怪やら怪人、無論豪傑もでてきますので、機会がありましたら、どうぞ。ちなみに上野国立博物館に実物が収蔵されています。


土蜘蛛の正体

 ところで、現在の地名には伝説が名の由来となっているものもありますが、土蜘蛛もとある県にその名を残しています。
  土蜘蛛が絡んだ県名がどこかといいますと、茨城です。
 現在の茨城の辺りには、山の佐伯、野の佐伯と呼ばれるものがいました。
 古老の言葉によると、それらは国巣(くず)あるいは土蜘蛛(つちぐも)、八握脛(やつかはぎ)であったといいます。
 土窟(土に穴を掘った洞窟)を掘り、常に穴に住み、人が来れば中に隠れ、人が去ればまた出てきたといいます。
 彼らは狼の性、梟の情を持つといわれ、略奪や盗みを繰り返しました。
 そこで、黒坂命という男が、穴から出ている時を探り、茨棘を穴にいれ、騎馬を放ちました。
 急に迫われた佐伯は、土窟に走り帰り、茨棘にかかり、滅んでしまったといいます。
 その後、茨棘から棘をとり、その地の名としたといいます。
 ちなみに茨城の由来についてですが、いくつか説がありますが、土蜘蛛とは関係ありませんが、興味のある方は調べてみるのはいかがでしょう。

 穴居というと日本ではほぼ見かけませんが、かつては住んでいた後が残っています。中国にはヤオトンと呼ばれる住宅がありますし、ヨーロッパ、南米の山岳地域でも存在しています。
 そうしたことを考えると、彼らはなんであったとかといえば、記録した人々と、生活習慣の違う存在であり、当時の政府と対立した集団であったと思われます。記録はあくまで勝った側のものとなりますから。

  
posted by 九十九屋さんた at 20:30| 千葉 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 白澤図 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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