2016年02月14日

百鬼夜行 天変地妖 色んな名前を記憶して みんなのミームになりたい 妖怪名IME

妖怪名IME、山口麻太郎 『西海の伝説』から追加
その際に壱岐の話や、行基菩薩のことをいろいろ調べてましたら、いろいろあったんでそのあたりも

何その話という方は
妖怪用のIMEを作ってみました 
http://youkai.seesaa.net/article/2086247.html を見ていただければと

もうしっている方はこちらに
http://youkai.up.seesaa.net/image/tango.zip

コウズ鳥
長崎県宮原名で梟の形をした馬の幽霊。ある寺で飼われていたが、世話をする小僧(コウズ)が、世話を怠り枯草ばかり与えていたところ死んで化けたという。「コウズ、コウズ、枯草ドスコ」と鳴くという。

鬼火石
壱岐には腰に襤褸をまいた半裸の大男(鬼)が盛んに火を焚くものを鬼火と呼び、定まった場所がいくつかあると言われている。鬼火岩もその一つであり、郷ノ浦山神山の裾にある。昔はここで毎晩のように一丈あまりの高さの大男が出て盛んに火を炊いたという。

もの言い山
壱岐にあるという山。季節の変わり目や、雨の降る夜など、楢の葉を着た化け物が出たという。時には話し声が聞こえる事もあり、もの言い山と呼ばれるようになった。

やかしら屋敷
壱岐にあるという屋敷の跡。4メートル平方程の二基の墓がある。夜、白衣を着たものが馬に乗って出る、轡の音がするが姿がないといった奇怪な事の絶えない土地とされ、崇りがあると言われた。

殺生橋
熊本県宇土にあったという橋。夜になると怪しい光を放ち、橋に触れたものは怪病にかかり狂死した。昼も、通行人が息も絶え絶えになったという。この橋は百済から大津波に流されたものと言われた。通りかかった行基により、錫杖で橋げたを打たれ七つにされ海に流された。流れ着いた場所で橋であった木材を使い仏像を彫り、霊場とした。

栗隈王
 橘氏の祖であり、河童をはじめ、水界の主とされた。栗隈王は筑紫太宰の長であり、当時は大陸や半島との関係が微妙な時期であった。都で壬申の乱があり、大友皇子と大海人皇子の争いがあった際に、助力をこわれたが、内憂にかまけて外患を招くと断った。
 長崎の水神社には、毎年五月五日に河童にごちそうする習慣があり、その様子は神主の渋江さんにだけ見えたという。その際に、河童には竹を、人間用には煮た筍を出した。それを見た河童は人の強さにおののいたという。渋江家では来客がある際に、水神社の裏にある河童石(どんく石とも。どんくは蛙の方言)に献立を置くと、用意されていたという。この石は川立神が宿るとされ、苔の模様などから、雨乞いの際に占いに使われた。また、神社には河童文字といわれる文字で書かれた河童の詫び証文が残っている。

 ちなみに神社の祭神は俗称は川太郎といわれる兵統良神(ひょうすべらがみ)である。昔、渋江さんのご先祖であるが橘氏が、大和の国の春日にあり、飛騨の匠が春日神社を造営の際に木偶を操って。作業した。これを猿沢に投げ入れたところ、水魅と化して霊威を現したので神として祭った。橘氏が筑紫の国に来た時に一緒にきたという。
 カッパの親玉は兵主部的な話を聞くけど、いまでもその話が残っているのは、おもしろさがある

参考 長崎都市初め、願掛け、お札、肌守り
http://www.city.nagasaki.lg.jp/nagazine/hakken0901/index1.html


空仙鬼と難林王
雲仙に鬼石というものが二つあり、それぞれ男女の鬼が化したものという。行基と遭い、それぞれが加持され、変わった姿という。それぞれ男の鬼を空仙鬼、女の鬼を難林王という。

 
posted by 九十九屋さんた at 09:49| 千葉 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 妖怪名IME | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする