2015年01月03日

私たちはおばけを記す軍隊だ!   妖怪名IME更新

妖怪名IME、今回は。
八束小脛を追加
気になったらこちらで軽い説明を載せておきました。http://youkai.seesaa.net/article/411648734.html

何その話という方は
妖怪用のIMEを作ってみました 
http://youkai.seesaa.net/article/2086247.html を見ていただければと。

 

 入れたことのある方は新しいファイルはこちらです http://youkai.up.seesaa.net/image/tango.zip
posted by 九十九屋さんた at 20:51| 千葉 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 妖怪名IME | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年01月01日

羊神社のこと

 あけましておめでとうございます。
羊神社  一番の目的が終わる


 今日紹介するのは、干支にあわせて羊神社です
 全国に何カ所かあり、こちらは名古屋の上飯田駅近くの北区辻町5-26にある羊神社です。地名も火辻村、ヒツジムラ由来だとかでまさに羊。
 名古屋に年末遊びに行く前に東海ウォーカー見てましたら載っていてこれはいかねばと思い至ったわけです。

 現地にいって来歴を見ますと、群馬県多野郡吉井町にある「多胡碑」に刻されている「羊太夫」(多胡郡の領主)が、都に立寄っていた屋敷があり、この土地の人々が平和に暮らせるため「人心を安らかに」という願いをこめて羊太夫が、火の神を祀ったものが羊神社と呼び称えるようになったと伝えられています。現在では天照大神・火之迦具土神の二柱の神が祭られています。

 羊太夫は、多胡羊太夫といいまして、奈良時代天武天皇の頃の人とされます。正式な名前は別にあったようですが、朱鳥九年未年の未の月、未の日、未の刻に生まれたため、「羊太夫」と周辺の人物から呼ばれていました。そして 和銅四年(711)に多胡郡、現在の群馬県の一角の郡司になりました。
 羊太夫は毎日のように、家臣の八束小脛と共に都に日参しました。理由は羊太夫は和銅、ニギアカネを見つけており、それを毎日届けていたのですね、当時平城京の時代になりますので、都は奈良になります。
 ? そう五百キロほどですね。どうしてそのような事ができたのか?
 
 それには家臣の八束小脛の力があったといいます。羊太夫は面白(権田栗毛とも)という名馬を持っていましたが、御しきれるものがおらずにその力を出し切れませんでしたが、小脛が馬を引くと面白は赤兎馬のように千里をかけ、宮古までの往復を可能にしたのです。小脛は神通力を持っていたのです。
 そんな小脛は様々な約束をして羊太夫の部下になっていました。馬を引く以外の仕事を命じない。裸にさせない、身を拘束するようなことをしないなどです。
 その約束を守り家臣としてうまくやっていたのですが、ある日のこと小脛があまりに暑くて上着を抜いたところ、脇の下に翼があり興味を持ち、とってしまったのです。小脛は神通力を失い、羊太夫は都に行くことができなくなりました。
 
 都ではこれを反乱の兆しととらえ、討伐することを決めます。羊太夫は叛意がないことを告げましたが、攻められました。
 様々な策略を持ってあたりましたが数万の大軍に敗れ、自殺して果てるのです。

 ただ、その最後に、金色の蝶と化して逃れたとか。
 これは実のところ羊太夫自身も神通力を持っていたという話のタイプも残っています。
posted by 九十九屋さんた at 22:13| 千葉 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | コラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする